「博物館浴」の実証実験で作品を鑑賞する高校生=北海道釧路市の市立美術館で2023年7月17日(緒方泉・九州産業大特任教授提供)

 ミュージアムに行けば高血圧も改善――? 博物館や美術館鑑賞による「癒やし」効果の研究が福岡を拠点に進んでいる。実験の結果、ストレスを緩和したり、血圧を正常化させたりなどの効果を確認。「博物館浴」と名付けられたこの取り組み、仕掛け人の緒方泉・九州産業大特任教授(博物館学)は「ミュージアム鑑賞で心身の健康を図るのは世界の潮流だ」と語る。【聞き手・岡村崇】

 ――博物館浴の研究を始めた経緯は。

 ◆博物館や美術館などのミュージアムを含めた文化芸術が、日本の社会に何か寄与できないかと思ったのが出発点です。現在、全国で約5800カ所のミュージアムがありますが、国民は年1回くらいしかミュージアムには行きません。

「博物館浴」の実証実験で作品を鑑賞する中学生=福岡県直方市の直方谷尾美術館で2024年9月14日午前11時1分、岡村崇撮影

 日本はストレス社会で、不登校の子どもたちが2023年度で約35万人、不安や悩みを抱える労働者が23年で80%超といわれます。超高齢社会で医療費削減のために健康寿命の増進に力を入れることも重要となる中、ミュージアムに皆さんの健康を支える要素があると着目しています。

 ――博物館浴が心身の健康や幸福(ウェルビーイング)の向上につながるのでしょうか。

 ◆英国では、多くのミュージアムの入り口に「MUSEUMS CHANGE LIVES」(ミュージアムが生活を変える)という看板が掲げられています。ミュージアムが人々の生活を変える場、人々の生活の質(QOL)を上げる場であることに自信を持っているからです。日本では見かけませんよね。

「博物館浴」の研究を進める緒方泉・九州産業大特任教授=福岡県直方市の直方谷尾美術館で2024年9月14日午前11時20分、岡村崇撮影

 カナダでは18年から、医療機関が「ミュージアム訪問」の処方箋を出し、年何十枚とチケットを提供しています。モントリオール美術館と医師会が約10年間実施した共同調査で、ストレスを受けた時に分泌が増える「コルチゾール」の数値が、鑑賞後に下がることが分かったためです。

 近年、欧米の関係者が中心となり、健康とウェルビーイングの視点でミュージアムを考える国際会議を開催しています。英国の大英博物館や米英の自然史博物館、米ニューヨーク近代美術館などが参加していますが、日本の博物館は不参加です。こうした世界の潮流に日本は乗り切れていないと感じます。

 ――なぜ、海外でこのような動きが広まったのでしょう。

 ◆英ロンドン大の研究グループが、ロンドンの50歳以上の住民約6000人を対象に「文化芸術を鑑賞する機会が多い人」「機会のない人」の2グループに分けて02年から14年間、調査をしました。そうすると「鑑賞の機会の多い住民が機会のない住民に比べ、死亡率が有意に低い」という結果が出ました。

 これを踏まえ、19年に「鑑賞機会の多い人が長生きする」との論文を公表すると、国内外の博物館関係者が関心を強め、国際会議の開催につながりました。

 ――日本での実証実験の状況を教えてください。

 ◆実証実験では、血圧や脈拍などを測る「生理測定」と、感情の評価を記入する「心理測定」でリラックス効果を判定します。

 感情の評価は、怒り▽抑うつ▽緊張▽疲労――などのネガティブなものと、活気▽活力▽元気――などのポジティブなもの。鑑賞前に測定する初期値と鑑賞を終えた後の測定結果を比較することで、癒やし効果などを検証します。10人から30人ぐらいのグループで、鑑賞時間は10~30分です。

「博物館浴」の実証実験で、おしゃべりをしながら鑑賞する参加者=東京都台東区の国立西洋美術館で2024年6月24日(緒方泉・九州産業大特任教授提供)

 具体的には20年9月~24年11月、全国のミュージアム87館で約1230人の被験者のデータを集めました。ジャンルは、歴史系▽民俗系▽美術系▽考古系▽自然史系――など多岐にわたり、被験者は中学生から高齢者まで幅広い世代です。

 その結果、全国どこでも、ミュージアムのジャンルや鑑賞時間にかかわらず、リラックス効果があることが分かりました。一例を挙げると、20分の鑑賞後、「疲労」度が約7分の1まで、「緊張」度が約3分の1まで急激に下がりました。

 血圧の面では、高血圧の参加者の最高血圧が165から152に、157から138に下がった一方、低血圧の高校生の最低血圧が42から57に、53から65に上がった事例もあります。博物館浴では、交感神経と副交感神経がバランスよく刺激を受け、血圧が急激に変化せず「いい盛り上がり」の状態になるようです。医療機関の協力も得ながら実証実験をしており、こうしたデータを医療関係者と共有することが重要だと考えています。

 ――博物館浴はどう活用できるでしょうか。

 ◆短時間の博物館浴でリラックス効果が確認されたことで、ミュージアムを日常的に活用できると考えます。例えば、中高生が学校生活で疲れ、調子が悪いと感じているのであれば、学校の帰り道にミュージアムに寄ってリラックスする。そして翌日、学校に通うのはどうでしょうか。

 ただ、博物館浴も万能ではありません。具体的には、プラネタリウムでは気持ち良くなるものの、血圧の数値が下がる傾向にあります。低血圧であれば、体がより動かなくなる可能性があります。自分の健康状態に合わせたミュージアムを選択する必要があり、今後、国立西洋美術館と九州産業大で共同研究を進め、1万人を目標にデータを収集する予定です。

 ――日本でも博物館浴が定着するのでしょうか。

 ◆例えばムカムカした状態を軽減するには気持ちを静める古美術作品を、活気を得るには現代アート作品を見たら良いといった、健康状態に合わせてミュージアムを勧めるアプリができれば、社会への実装につながるでしょう。

「博物館浴」の実証実験で作品に触れながら鑑賞する中学生=福岡県直方市の直方谷尾美術館で2024年9月14日午前11時24分、岡村崇撮影

 ヘルスケア市場は世界的に拡大しており、博物館浴をビジネスにする動きへの期待もあるようです。長野県小布施町では町の25年度の福祉政策の参考にするため、町と一緒に博物館浴の実証実験を進めています。博物館浴が今後、福祉や青少年の健康に関わる施策に展開される可能性は大いにあると思います。

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