1枚の写真から街を再発見!兵動大樹の今昔さんぽ。
神戸のど真ん中、三宮の交差点から今日の探索へ出発です。
■およそ60年前の「元町商店街」と「三越」の写真
手にしたのは、1965年(昭和40年)頃に神戸市内で撮影された写真。
「元モトマチ町」という商店街の看板と、「三越」のマークがついた建物。ヒントはいっぱいありますが、昔は三越百貨店が神戸にあったのでしょうか。
■地元の方は覚えている「商店街の一番端が三越です」
兵動さん、元町へ行って「三越」を探すことにしました。
すると60年神戸に住んでいるという人が、「はいはい三越でしょ。この(神戸元町)商店街の一番端が三越です。商店街6丁目まであって、6丁目の端が三越。私、三越で着物作ってたから」と話してくれました。
そして「元ブラ」といって、元町1〜6丁目までブラブラ歩くのが流行っていたそうです。
他にもご年配の方に聞いてみると、三越をよく覚えている方がいて、「行った、行った。毎日行った。上(屋上)の遊園地で遊んだ」という話も聞くことができました。
■三宮より西側の新開地辺りのほうが神戸の中心地だったという
1874年(明治7年)に、西国街道を「元町通」と改称した時から今年で150年。通りを照らす伝統のスズラン灯は、今も元町商店街に受け継がれています。
まもなく商店街の出口というところで歴史ある「松尾ビル」を見つけました。オーナーの松尾智子さんが案内をしてくれて、昔のこともいろいろと教えてくれました。
松尾ビルは元々「小橋屋呉服店」が1925年(大正14年)に建てたビルで、来年で100周年を迎えます。中には100年前のエレベーターが現役で使われていて、手動で操作するため、各階にピッタリ止めるのが難しいのだと言います。
「三越」は松尾ビルのすぐ目の前にあって、1984年まで営業していました。松尾ビルの前身の「小橋屋呉服店」も百貨店でした。
昔は三宮より、もっと西の新開地辺りのほうが神戸の中心地だったそうです。戦後だんだん東の方が栄えていき、新開地やJR神戸駅の辺りは少し寂しくなったということです。
【兵動大樹さん】「昔『三越さん』が元町にあったと。そして元町の商店街をブラブラする『元ブラ』が当時の最新の楽しみ方だった。ちょっと『元ブラ』しましょう」
(関西テレビ「newsランナー 兵動大樹の今昔さんぽ」 2024年11月29日 金曜日放送)
▼兵動さんの今と昔を探る旅の全ては、動画でじっくりお楽しみください。
https://youtu.be/abkIfT4KQko
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