その小さな男の子が、ため込んでため込んで、どうしていいか分からないモヤモヤやグジャグジャなものを全部、踊り狂うことでドバーッと吐き出していく様子に涙が止まらない。

 目に見えないはずのものが、全部見える。ちょっとだけ脚本の勉強をしたとき、映画は感情という目に見えないものを見せるものだと教わり、そんなことができるのかと震えたことがあった。これがそれだ。

 小さな体が放出しているのは、彼の中でうごめいているものたち。「悲しみ」「怒り」、どう書いてみても違う。日本語の中にそれを指し示す形容詞を見つけられない。でも確実にある何か。

 それと似たようなものが私の中にもいて、彼が踊れば踊るほど、私の中のそれが涙に溶けてドバーッと流れていく。そうだ、今日からそれを、リトル・ダンサーと呼ぼう。(桜坂劇場・下地久美子)

◇同劇場で上映中

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