[金平茂紀のワジワジー通信 2024](23)

 ドナルド・トランプ氏が圧勝した。ホワイトハウスの主に戻ってきたのだ。米大統領選挙の投開票日11月5日を挟んで、僕は米ニューヨーク市に1週間滞在した。大統領選挙はアメリカにとって4年に1度のお祭り。過去に何度か現地で取材をしてきたが、バラク・オバマ大統領が誕生した2008年の大統領選の時は本当に感動したものだった。アメリカはやっぱり民主主義国のチャンピオンだな、とか。

 今回は、ニューヨーク市のダウンタウンの知人の元に身を寄せ「定点観測」をすることにした。乗り放題のメトロカード(35ドル=5千円ちょっと)を使って各所を歩き回った。ニューヨークは民主党の牙城なので、カマラ・ハリス副大統領が勝つことがほぼ決まっていたが、アメリカ全体の選挙予想は「大接戦」だった。

 とんでもない! マスメディアは大失敗をやらかした。これは米メディアだけでなく日本のメディアも同様だった。深刻な事態だ。マスメディアが民意をきちんと把握できていなかったのだ。なぜそうなったのか。もちろん情勢の刻々の変化はあっただろう。いろいろな人が自己流の分析を言い散らかしているけれど、僕が体感したことの一つに、マスメディアが世論調査という「数字」に過剰に依拠していたことがある。

 アメリカでは実に多数の世論調査が実施されており、実施主体によってかなりのばらつきがある。世論調査データの収集分析サイトにリアル・クリア・ポリティクスという組織があるのだが、世論調査の「平均値」をはじき出して内外に公開している。この「平均値」が実は世論調査界で絶大な権威となっていて、それをもとに各メディアが選挙情勢を報じるという側面があった。

 だが、有権者の生活場面にまで入り込んで丹念に取材していたジャーナリストたちは、数字と取材実感とのギャップを意識していた者も多かった。ところがメディアは組織としては、そうした取材実感よりも数字の方を重んじる。客観、公正、中立なのは数字の方だ、とばかりに。メディアが人間に向き合わないでどうするのか。

 これは日本で今起きていることについても深刻な教訓をもたらしていると思う。メディアが民意を把握し損ねた点では最近の兵庫県知事選挙も現象的には共通する。ただ、兵庫のケースはSNSによる「洗脳」という側面が突出していた。

 ニューヨークで体験した小さなエピソードを記しておこう。寄宿した知人宅はダウンタウンのチャイナタウン(中華街)に近いこともあって、パン食が苦手な僕は、失礼を顧みず、朝早くチャイナタウンに出かけて朝粥(がゆ)を何回か食べていた。朝早くチャイナタウンの住人たちが続々と朝粥を食べにくる。話している言葉は中国語だ。客と店員たちは大声で何やら議論していて活気がある。日本人の僕は明らかに浮いていた。

 すると一人の女性客が話しかけてきた。63歳のケリーさんという女性。トランプ候補の熱烈な支持者だった。とにかく一方的に英語で話しかけてくる。彼女は周囲より明らかに裕福ないでたちで、自分と家族のことを一方的に話し始めた。僕はうんうん頷(うなず)くしかない。

 ケリーさんいわく、夫はイタリア系アメリカ人、息子は今スウェーデンに留学中。夫と共に世界40カ国を旅して回ったと言い、その記念写真をスマホから次々に見せられる。どの写真も幸福そうで満面の笑みをたたえている。アメリカを豊かにするのは、トランプのような強い男でなければならない。

 最後はトランプ支持の帽子を被った自身の写真を見せられた。トランプ支持者は、こういうところにもいるんだ、と。彼女は明らかに人種的には中国人で、おそらく移民の末裔(まつえい)だ。トランプ氏が選挙期間中にしきりに移民排斥を叫び、オハイオ州では移民がペットを食べているなどとデマを飛ばし、白人男性中心主義を体現し、中国を通商面で敵視して輸入品に60%の関税をかけてやると脅しても、中国系のケリーさんには頼もしいリーダーなのだった。とてもかなわないな。

 日本にいた時、日々情勢を追っていたパレスチナ・ガザでの虐殺や、ウクライナ戦争の泥沼など、誰も口にしていない。ニューヨークに住んでいた頃、通ったことがあるコロンビア大学に行ってみた。全ての出入り口が閉じられており、大学のキャンパス構内に入るには主要出入り口でIDカードを見せ、チェックを受けなければならない。

 学生たちが春にガザ虐殺に抗議して大規模な反対運動を繰り広げたことから、警官隊が導入され多数の逮捕者が出た。多くの退学処分が断行された。以来、キャンパスへの立ち入りが厳格にチェックされる体制が現在も続いている。

 衝撃を受けた。ガザやウクライナが大統領選挙で争点になどなるはずもないか。東京からのこのこ出かけて行った自分の認識の浅薄さを思い知らされた。リベラルなニューヨークにしてこうだ。ましてや中西部ではお話にならないだろう。

 皆、自分たちの足元の生活のことを考えている。それはある意味自然なことかもしれない。だが、アメリカが他の国で従事している活動を考えた時、僕ははっとする。イラクやアフガニスタンで何をしたか。沖縄に駐留する米軍は誰から何を守り、その経費は誰が負担させられているのか。アメリカの有権者は沖縄の名前など知らない。そのことを知る。

 チャイナタウンでトランプ当選の翌々日に売られていた中国語新聞の見出しに次のような文字が大きく躍っていた。「特朗普総統激烈震動美国」。そうか、トランプって中国語では特朗普なのか。おしまいの美国とはアメリカのことだ。トランプ大統領が激烈にアメリカを震え動かす。興奮していたケリーさんの顔が浮かんできた。(ジャーナリスト)=随時掲載

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