OHKのカメラが収めた岡山・香川の懐かしの映像で、ふるさとの歴史を振り返ります。今回は1983年(昭和58年)11月26日に備前市で撮影された映像です。
備前焼の人間国宝で、同年11月12日に84歳で亡くなった藤原啓(本名:敬二)をしのんで、26日に備前市市民センターで市民葬が行われました。
神坂篤・備前市長(当時)が葬儀委員長をつとめ、祭壇には柔和な表情の遺影が飾られました。長野士郎・岡山県知事(当時)らが弔辞を読み上げ、訪れた人たちが献花台に花を供え、冥福を祈っていました。
1899年(明治32年)備前市穂浪出身で、小説「不如帰」で知られる徳富蘆花らにあこがれて文学の道を志し、一時、都内の出版社などに勤めていましたが、帰郷後の1938年(昭和13年)、39歳で陶芸の道に入りました。
鎌倉期の無造作で力強い素材美を追求し、おおらかで豪放な作風を確立しました。単純・素朴・明快を作陶理念とし、「古備前」をはじめとした茶陶中心の備前焼に大きな影響を及ぼしたといわれています。
長年の創作活動が評価され、1970年(昭和45年)には、備前焼では史上2人目の人間国宝に認定されました。その後、1976年に備前市名誉市民、1977年には岡山県名誉県民に選ばれています。
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