砂の器記念祭のトークショーで、子役時代の思い出を語る春田和秀さん(左から2人目)=島根県奥出雲町で、村瀬達男撮影

 松本清張原作の松竹映画「砂の器」が公開されて50周年となる19日、一部のロケが行われた島根県奥出雲町の町立亀嵩(かめだけ)小体育館で、「砂の器記念祭」が開かれた。同映画に子役で出演し、現在は会社経営者の春田和秀さん(58)=さいたま市=らのトークショーや映画上映(143分)があり、全国から集まった映画ファンや町民ら約600人が名画の世界に浸った。

 「砂の器」は都内で起きた殺人事件をめぐる捜査を縦糸に、容疑者の親子の人生を横糸に織りなすミステリー。奥出雲町の地名「亀嵩」の出雲弁なまり「カメダ」という言葉が事件の鍵となった。ハンセン病を物語の背景にしたことでも知られる。2024年で映画公開50周年、TBSドラマ化20周年となるのを記念し、町や亀嵩観光文化協会などでつくる実行委が、映画封切り日の10月19日に記念祭を開いた。

 初めに、TBSドラマ「砂の器」の福澤克雄監督がスピーチし、楽団「亀嵩記念シンフォニエッタ」が劇中曲「宿命」などを演奏した。

記念碑「砂の器 舞台之地」=島根県奥出雲町で、村瀬達男撮影

 トークショーは同町出身の作家、村田英治さんが司会をし、著書「『砂の器』と木次線」をPRした。映画では亀嵩駅の二つ南の八川(やかわ)駅に「亀嵩駅」の看板を掛け、ロケをしたことが記されている。

 せりふがない子役だった春田さんは「OKが出るまで何回も線路の上を走った。わらじに枕木の石が挟まり、痛かった」と振り返った。当時は台本も理解せず、言われるまま演技をしていたといい、「一番嫌だったのは(巡査に)崖から突き落とされるシーン。試写会で見て『こういうストーリーだったのか』と分かった」と笑いを誘った。

 登壇した映画評論家の樋口尚文さんは「原作では親子が放浪する場面は数行しかなかった。それを脚本の橋本忍さんが膨らませ、皆さんが泣ける作品に作った」などと解説した。【村瀬達男】

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