101年前の関東大震災で起きた朝鮮人虐殺について、40年以上にわたって証言を集めてきた呉充功(オチュンゴン)監督(69)の新作ドキュメンタリーが、この秋に完成する。タイトルは「名前のない墓碑」。呉さんは「犠牲に対し、今年は埼玉、千葉両県知事が追悼文(と弔文)を送った。一方、東京都知事はまた見送った」と指摘。「慰霊の意味を考えて」と訴える。【田所柳子】
呉さんによる虐殺のドキュメンタリー映画は6作目となり、11月までに完成する予定。9月28日、市民らで作る「戦後80年を問う市民行動委員会準備委員会」は、呉さんを前橋市に招いて講演会を開き、編集のさなかの作品を上映した。
呉さんが記録を始めた80年代、大震災を経験した人は多く生存していた。しかし、制作には困難が伴った。「カメラを持っていけば、しゃべらなくなる。『見た』と言わなくなり、『聞いた』と言うようになる」。それでも通い続けるうちに、一部の人は勇気を持って打ち明けた。自ら虐殺に関わったと、告白する人もいた。
今回の作品では、藤岡、高崎両市の虐殺について関係者が語る。さらに、呉さんと被害者遺族との交流を描く。
出演するのは、埼玉県内で亡くなった朝鮮人男性の遺族。墓は韓国にあるものの、そこに納められるはずの遺骨はない。そこで、呉さんは男性が殺されたとされる現場付近の土を袋に詰めて、韓国に渡り、男性の孫に託した。孫は土の入った袋を額に当て、涙を流し、墓に納めた。その後、孫は来日することなく死去したが、別の遺族が埼玉県の訪問を検討しているという。
一方、日本政府は虐殺について、歯切れの悪い答弁を繰り返す。政府の中央防災会議の報告書には流言から虐殺が起きたとあるが、震災から100年の節目となる昨夏、当時の松野博一官房長官は「政府内において(虐殺の)事実関係を把握する記録が見当たらない」との見解を繰り返した。映画では、日本政府の謝罪がなく、韓国政府も十分に取り組まないまま、時が過ぎたことに批判の目を向ける。
制作の過程で呉さんは、高崎市の県立公園にあった朝鮮人労働者の追悼碑も訪れた。ところが県は今年2月、追悼碑を撤去。呉さんは取材に「親戚を訪ねるような気持ちで来ていただけに、自分の体の一部が壊されたよう。世界的に見て追悼碑の破壊はほとんどなく、県にとって自慢できる話ではない」と述べた。
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