旧三淵邸に保管されていた至急官報(電報)=神奈川県小田原市で2024年8月2日、本橋由紀撮影(三淵邸・甘柑荘保存会所蔵)

 NHK連続テレビ小説「虎に翼」の主人公のモデル・三淵嘉子の義父で初代最高裁長官の三淵忠彦(1880~1950年)について、長官に就任した内幕を九州大の赤坂幸一教授らが調査し、8日発売の雑誌「世界」(岩波書店)9月号と「WEB世界」で発表する。旧三淵邸に残る約800通の書簡類を読み解き、長官候補ではなかった三淵を政権の実力者につなげたキーマンの存在を明らかにした。

 三淵は戦前に大審院判事を務め、民間会社や大学講師を経て47年8月、初代最高裁長官に就任。50年3月に定年退職し、4カ月後に死去した。長男乾太郎の妻嘉子は「虎に翼」の主人公のモデルで、日本初の女性裁判所長として知られる。

 初代長官の座を巡っては裁判官の間で激しい派閥抗争があった。三淵は47年当時は隠居していたが、7月に突如、学識経験者として候補に浮上した。

 三淵を推したのは、社会党初代委員長から首相になった片山哲率いる内閣で司法相に就いていた鈴木義男と言われる。ただし、裏付けとなる史料は乏しかった。

 憲法学が専門の赤坂教授は、神奈川県小田原市の三淵の旧宅に残る書簡類を読み解いた。書簡は一般社団法人「三淵邸・甘柑荘保存会」が所蔵しており、慶応大の出口雄一教授(法制史)らと調査を続けている。

 赤坂教授は、三淵の旧制二高(現東北大)時代からの友人で弁護士の江橋活郎に注目。47年3月5日の鈴木から三淵あての書簡によると、江橋の仲介で、鈴木が三淵に社会党政務調査会の顧問就任を依頼したことが書かれている。

 その後、司法相の私的顧問となった三淵が新しい裁判所の問題点などについて記した鈴木あての3通の意見書・勧告書が、鈴木を感激させ、長官推薦につながったとみられる。

 「三淵君ハ云フ 老人ヲ引ッ張リダシタノハ 江橋ガ火元ダヨ」。長官就任直後の8月10日に三淵に届いた三淵と江橋の共通の知人の書状には、長官就任のきっかけは江橋にあると三淵自身が見ていたことを示す記述もあった。

 書簡類の中には「至急官報」という印のある電報も残る。7月24日に裁判官任命諮問委員長から最高裁判事の候補になることを求められ、29日には鈴木司法相が「チカクユク ゼヒ ヒキウケコフ(近く行く。ぜひ引き受け請う)」と書いていた。赤坂教授は「関係者の証言や回想で伝えられていたことが史料で裏付けられた。今後も草創期の最高裁の実態を明らかにしたい」と話している。【本橋由紀】

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