映画「マミー」を製作した二村真弘監督=大阪市淀川区で2024年7月12日、鵜塚健撮影

 いったん黒く塗りつぶされた絵は、明るい絵の具を塗り直しても印象を変えることは難しい。1998年7月、和歌山市で住民4人が死亡した毒物カレー事件。マスメディアの膨大な量の報道によって形成された一般的な世論は、ほぼ真っ黒と言えるだろう。ただ、殺人罪などで死刑判決が確定した林真須美死刑囚(63)は今も獄中から無実を主張し、再審請求中だ。

 家族による視点と緻密な検証を基に、事件の冤罪(えんざい)の可能性について問う映画「マミー」が8月3日から、各地で公開される。事件から26年。二村真弘監督(46)はなぜ真っ黒なキャンバスに立ち向かうのか。

映画を作ったきっかけ

 映画の序盤、現場近くに響き渡るセミの鳴き声が印象的だ。当時、現場には報道陣が殺到し、メディアスクラム(集団的過熱取材)が多発した。逮捕前、笑顔で報道陣に水をまく林死刑囚の写真や映像が「ふてぶてしい犯人」像を強めた。大音量のセミの鳴き声は、いったん流れができると異論や疑問をはさむ余地を消してしまう報道の「威力」を象徴しているようでもある。

 事件は98年7月25日に和歌山市園部の夏まつり会場で発生。提供されたカレーを食べた住民4人が死亡し、63人がヒ素中毒になった。直接証拠がなく動機も未解明な中、状況証拠の積み重ねによって林死刑囚が罪に問われ、2009年5月に死刑が確定した。

毒物カレー事件に関連し、林真須美容疑者(当時)の逮捕時には、自宅周辺に多くの報道陣が集まった=和歌山市園部で1998年10月4日午前6時12分、中村真一郎撮影

 二村監督は当時、映画専門学校で学ぶ学生で、「こんな悪い人がいるんだという感覚だった」と振り返る。しかし、19年に林死刑囚の長男の著書を読み、家族として中傷や差別を受けていること、冤罪の可能性があることを知る。以降、事件に関心を寄せ、裁判資料を読み込み、再審を求める弁護団の主張に耳を傾けた。

 有罪の重要な根拠とされた目撃証言は確かなのか▽ヒ素の鑑定結果の信用性は揺るがないのか――。自身で検証することを決め、林死刑囚の家族や周辺住民、当時の捜査員、研究者らに4年にわたって取材し、証言と材料を集めた。

 二村監督は「冤罪なのか、無実なのかについてはわからない。少なくとも裁判で認定された事実が正しいのか、そこで語られていることは確かなのかを示したかった」と語る。

マスメディアへの問いかけ

 取材を通じて出会った報道関係者からは「再審決定が出ないと記事が書きにくい」との声も聞いた。「裁判所の決定がないと報じないという姿勢は、メディアのあるべき姿としてどうなのか」。事件直後は総力をかけて報道する一方で、その後の検証には及び腰なマスメディアへの問いかけもにじむ。

 事件当時、小学生だった長男は今も林死刑囚のことを「マミー」と呼ぶ。二村監督は「メディアでつくられた『毒婦』のイメージを覆す本質的なものが込められている」と作品タイトルに用いた理由を話す。

 二村監督は番組制作会社を経て11年以降、フリーランスとして多くのドキュメンタリー番組を手がけてきた。映画監督としては今回が初作品。

 二村監督は作品に込めた狙いについて、「私ができる範囲で事件を検証しただけで、違う見方や批判があっていい。これが議論のきっかけとなり、事件のさらなる検証が進むことが一番だ」と語る。

 8月3日から第七芸術劇場(大阪市淀川区)、京都シネマ(京都市下京区)、シアター・イメージフォーラム(東京都渋谷区)などで公開される。【鵜塚健】

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