第61回毎日書道展四国展で、「教」と書いた自身の作品について語る三浦白鴎さん=松山市堀之内の県美術館南館で2009年8月14日午前11時53分、柳楽未来撮影

 毎日書道展審査会員・毎日書道会参事で、毎日書道展四国展最高顧問の三浦白鷗(はくおう)(本名・征紀(せいき))さんが15日、79歳で亡くなった。18日に松山市内で営まれた葬儀には県内外の書道関係者ら約160人が参列。書道文化の振興に尽くした三浦さんの多大な功績をたたえ、感謝の気持ちを共有した。

 三浦さんは22歳だった1966年から本格的に書道を始め、78年にはサラリーマンをやめて筆一本の生活に。大字書を中心に制作し、86年に独立書人団の会員となった。91年に毎日書道展のグランプリである会員賞を受賞。「書道には求道精神がある。広い意味での自己研鑽(けんさん)。地道な修練により技術の習得、鑑賞眼、さらには自己の感性を磨き、独創的な表現力を求められる」(2022年、毎日書道展四国展40回記念座談会)と語っていた。

 毎日書道展四国展には1980年の開始当初から運営に尽力。企画部長を経て2002年に実行委員長となり、その後も副実行委員長や実行委員長を続け、12年から常任顧問、22年から最高顧問。愛媛県独立書人団では23年度まで代表を務めた。1976年、87年、93年、2004年、16年と5度の個展を開いた他、北欧、フランス、中国、台湾にも渡り書道文化を紹介した。

 この日の葬儀で弔辞を述べた公益財団法人独立書人団の山中翠谷理事長は「周囲の人たちも鼓舞し、研究し続ける努力の姿を見てきた。1986年に白鷗の名となり、愛媛の三浦から独立書人団を代表する作家として認知されるようになった」と振り返った。その象徴として5回もの個展開催を挙げ、「芸術家は個展で勝負しないと本物ではないとの大先輩の言葉に触発され、実践した三浦さんは本物だ」と称賛。「常に明確なテーマを持ち、前向きに活動される姿に大いに刺激された。ご功績に敬意と御礼を申し上げる。私たちの活動を天から見守ってください」と結んだ。

四国展としては40回目となった第73回毎日書道展四国展で三浦白鷗さんが揮毫した色紙=松山市で2024年6月18日午後2時、太田裕之撮影

 三浦さんはまた、95年から「あいテレビ」の放送番組審議会の委員となり、2003年から委員長を務めていた。「毎月、大学ノートにびっしりと、番組のことを分析され、論点を整理されていた。どの委員からの意見にも対応できるようにし、まとめてくださった」と、葬儀では左納和宜(かずのり)社長も感謝を述べた。

 三浦さんより1歳若く、共に半世紀にわたって愛媛の書道会を支えてきた毎日書道展四国展最高顧問の吉田青雲・愛媛県美術会会長(78)は取材に「兄のように頼りにしてきた。いろんな苦労、楽しかったことが思い起こされる。本当に残念で寂しい」と悼んだ。【太田裕之】

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