「木更津PR大使」の委嘱状を受け取った中尾彬さん=木更津市の同市役所で2022年3月7日、浅見茂晴撮影

 千葉県木更津市出身の俳優、中尾彬さんが亡くなった。生前、「やはり特別な場所」と表現していた木更津をこよなく愛し、市が創設した「木更津PR大使」として活動したり、母校・木更津高校や市に自ら創作した絵を寄贈したりするなど、晩年まで古里に温かいまなざしを送り続けた。

 中尾さんは同大使として、市の「二十歳を祝う会」でメッセージを送ったり、22年の市制施行80周年の記念誌へ寄稿したりした。同大使は2023年11月から4期目となった。渡辺芳邦市長は「4期目就任の際、『市が明るくなった。いろんなものが活気につながっている』と笑顔で話されたことを思い返しています」としのんだ。

 中尾さんは同月、自身が描いた3点の他、アンリ・マティスや梅原龍三郎作の美術コレクションなど計38点を市に寄贈。市は今年3月に作品展「中尾彬コレクション」を市内で開いたばかりだった。

 一方、家族ぐるみで交流があった同市の料亭「宝家」の大女将(おかみ)、鈴木まり子さん(73)は「思い出ばかりでした。ぽっかり心に穴が開いたようです」と肩を落とした。看板メニューの一つ、「あさりカレー」は、肉がぜいたくだった子どもの頃、遊びついでに採ったアサリを具にしたカレーが中尾さんの思い出だったことがヒントになった。鈴木さんは「2年前に亡くなった夫と今ごろワインでも飲んでいるかな」とつぶやいた。

中尾彬さんが木更津高校に寄贈した作品=木更津市で2024年5月22日午後4時53分、浅見茂晴撮影

 映画監督の蒲地宏さん(54)は、2017年に映画「キミサラズ」を公開した際、対談。「歯に衣(きぬ)着せぬ方で、『木更津を発信していくために頑張れ。いつでも声を掛けてくれ』と力強く励ましてくれた」と振り返った。

 同校の同窓会長、石井俊夫さん(77)は「同窓会総会でも生徒たちと対談したが、心遣いのある優しい穏やかな人」としのんだ。同校の同級生、豊岡進さん(81)は「当時から見た目の目立つ美男子。律義で人間関係を大事にする人だった」と寂しそうに話した。【浅見茂晴、柴田智弘】

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