「最近、文学界で大津が来てる」――。先月、宮島未奈さんの「成瀬は天下を取りにいく」が本屋大賞を受賞。大津城の戦いを描いた今村翔吾さんの「塞王の楯」が2022年に直木賞を取った時に抱いた自信が確信に変わった。だが、ちょっと地味な大津を読者はどれだけご存じなのか。ここは一番、大津在住30年の記者が紹介せねばなるまい。そう考えて「成瀬」の舞台・膳所を歩いた。【山本直】
膳所は「ぜぜ」と読む。平安時代に魚介類を朝廷の食膳に供給する所だったことに由来するらしい。大津市は県庁所在地なのに「中核」といえる繁華街がなく、大津、浜大津、石山、瀬田などにこぢんまりした盛り場がある。膳所もその一つ。JR東海道線と京阪が乗り入れているので便利だが、JRの新快速は大津と石山に止まってはざまの膳所は飛ばす。
主人公の成瀬あかりは膳所の「におの浜」に住み、地元の小中学校を経て膳所高校へ進学する。20年8月に閉店した西武大津店が一つのテーマになっていることは再三報じられているし、これから読もうという方も多いだろうからストーリーには触れない。
膳所駅前のロータリーには、近くの義仲寺に墓がある松尾芭蕉の句碑があり、その隣に「ときめき坂」と書かれた「道標」が立っている。ここから西武大津店跡まで北へ続く約400メートルの緩やかな下り坂の沿道に飲食店や銀行、コンビニ、成瀬が通った小学校などが建ち並ぶ。ネーミングは平成の初めごろ、公募で決まった。ウィキペディアには「通称・大津の竹下通り」とあるが、記者は寡聞にして聞いたことがない。
坂を下りきり、交通量の多い湖岸道路と交差する北東角に1976年6月、西武大津店は建った。設計は70年大阪万博のエキスポタワーを設計した菊竹清訓(きよのり)氏。地上7階建ての南側は階段状になっていて各階にテラスがあるオシャレな造り。斜めにカットされた形状からか、近付いても建物の大きさの割に空が広く感じられた。跡地には京滋エリア最大という15階建て総戸数708のマンションが建った。
さらに北へ進むと、琵琶湖岸のなぎさ公園。芝生の広場、遊歩道から青い湖や比叡山、比良山系を望むことができる。一角には、成瀬が広島の高校生と船上デートした外輪船ミシガンが発着する桟橋・におの浜観光港もある。
大津では、西武大津店のすぐそばにあったファッションビル「大津パルコ」がオープンから21年を経た2017年8月に撤退。専門店ビル「浜大津OPA」は一度も黒字になることなく04年3月に撤退した。記者が住む大津京でも24年1月、イオンスタイルが閉店。いつも元気なのは地元スーパー平和堂ぐらい。新規進出店は定着しにくい土地柄なのかもしれない。
だから市民は商業施設の栄枯盛衰にはある程度慣れっこ。西武が特別だったのはやはり、滋賀が西武グループの創業者、故堤康次郎氏の出身地であることも影響しているのだろう。記者も西武大津店にはお世話になった。我が家の居間には、閉店間際の同店ギャラリーで安く買ったシャガールのリトグラフが掛かっている。
アクセス
JR膳所駅へは大阪からだと快速で50分余り。新快速に乗り、一つ手前の大津で乗り換えると少し早く着く。西武大津店跡は北約400メートルにあり、さらに北約300メートルになぎさ公園が広がっている。膳所高校や膳所城跡は京阪石坂線膳所駅から二つ東の「膳所本町」が最寄り。
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