奥島孝康・日本高野連会長=阪神甲子園球場で2014年3月21日、山崎一輝撮影

 日本高校野球連盟の第6代会長を務めた奥島孝康さんが1日、85歳で亡くなった。関西以外に在住の会長は初めてのこと。早大総長として大学改革を推し進めた手腕で、特待生問題という高校野球の「難局」を見事に乗り切った。

 日本高野連との関わりは、2007年の西武のアマチュア選手への金銭供与問題に端を発し、表面化した特待生問題が始まり。日本高野連の特待生問題有識者会議のメンバーに選ばれ、ガイドライン(努力目標)を策定。その縁もあって08年11月に高校野球界のトップに就任した。「1学年5人以内」とする高校野球特待生制度を12年度から適用し、その後、軌道に乗せた。

 法律家であり、教育者でもあった奥島さん。自負心をのぞかせたのが「学生野球の憲法」ともいわれる日本学生野球憲章の改正。10年に施行された同憲章の前文に「学生野球は学校教育の一環」と明記し、教育を受ける権利を保障した。他の高校スポーツにはない、誇れるルールだから。

 本人は「ショートリリーフ」と表現したが、実際の会長職は約7年に及んだ。最後の大仕事は、高校野球100年の節目を迎えた15年8~9月に、日本で初開催されたU―18(18歳以下)ワールドカップ(W杯)。「力を尽くさずして敗れることは許されない」と高校日本代表を激励した一方、準優勝という過去最高成績を残した選手たちをたたえた。「情熱」と「優しさ」を兼ね備えた教育者を貫いた。【武藤佳正】

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