2024年、東京ヴェルディの試合前に、あいさつをするJリーグ初代チェアマンの川淵三郎さん=国立競技場で2024年2月25日、藤井達也撮影

 19日に98歳で亡くなった渡辺恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役主筆とサッカー・Jリーグ創設時などに激論を交わしたJリーグ初代チェアマンの川淵三郎さん(88)は、日本サッカー協会を通じ「渡辺さんはJリーグの恩人。心から感謝しています」とコメントを出した。

 1993年のJリーグ開幕時、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)の親会社で読売新聞社の社長だった渡辺さんは、プロ化に際して企業色を排し、クラブの名称に企業名ではなく地域名を冠することなど、地域密着を掲げるJリーグの川淵さんと激しく対立した。

 川淵さんは訃報を受け、「クラブの呼称問題などで侃々諤々(かんかんがくがく)の論戦を繰り広げたことが懐かしく思い出されます。渡辺さんとの論争が世間の耳目を集め、多くの人々にJリーグの理念を知らしめることになりました。恐れ多くも不倶戴天(ふぐたいてん)の敵だと思っていた相手が、実は最も大切な存在だったのです」と悼んだ。

 当時、渡辺さんは「一人の独裁者が空疎な理念を振りかざしてもスポーツは成り立たない」と川淵さんを「独裁者」と断じた。98年に横浜フリューゲルスが横浜マリノスに吸収・合併されることになった際には「今みたいな川淵哲学なら、読売も(クラブを手放すことを)考えざるを得ない」と批判。同年に読売新聞社はヴェルディ川崎の経営からの撤退を表明し、「地域密着という理念ばかりを先行させ、企業が本気で支援できるような環境作りを怠ってきた川淵チェアマンの誤ったリーグ運営の結果」だと語った。

 国内スポーツをけん引していたプロ野球界に多大な影響力を持つ渡辺さんと、当時は新興勢力だったサッカー界の川淵さんのやり取りはメディアで大々的なショーのように扱われた。両者は「犬猿の仲」とも呼ばれたが、過激な発言を含む議論はサッカー人気が低迷していた中でJリーグの存在を広く認知させることにもつながった。

 川淵さんが2018年に著書「黙ってられるか」(新潮社)を出版する際に両者は対談。この時のやり取りを踏まえ、川淵さんは「(渡辺さんは)既に90歳を超えておられるにもかかわらずかくしゃくとされ、話される内容も鋭く、得がたい時間を過ごさせていただきました。頭脳では到底かなわないものの、そのお姿を見て渡辺さんのように年を重ねていきたいと思いました。その渡辺さんが亡くなり、目標を失った思いです」と追悼した。【丹下友紀子】

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