金足農は、甲子園で「金農旋風」を巻き起こした野球部で知られる秋田の県立高だ。しかし、かつては陸上部が全国で名をはせた。半世紀以上のブランクを経ての古豪の都大路出場に地元の期待が高まっている。
「いつかチャンスが来ると思っていた。名門復活の風がようやく吹いた」。
そう語るのは、56年前の1968年、金足農が最後に全国高校駅伝に出場した第19回大会で6区を走り、8位入賞に貢献した近野清作さん(74)だ。
金足農は2018年の夏の甲子園でエースの吉田輝星投手(オリックス)を擁して準優勝した「金農旋風」が記憶に新しい。今夏の甲子園にも出場し、野球の強豪校のイメージが定着したが、近野さんは「私たちの頃は金足農の強い部活といえば陸上部が一番で、相撲部やラグビー部も強かった」と話す。
陸上部は、50年の全国高校駅伝の第1回大会で2位に入り、19回大会までに12回出場した常連校だった。
「根性論の時代。雨の日も風の日も、とにかく走った」と近野さんは振り返る。当時は練習グラウンドがなく、学校近くの雑木林などを連日約20キロ走り込んだという。雪が積もる冬場は長靴を履いて走ることもあった。猛練習の末、68年の都大路では2時間14分27秒をマークした。
しかし、その後の秋田県予選で、その記録を上回る後輩たちは現れず、都大路の舞台から遠のいた。
普通科高校への進学を希望する生徒が増え、部員数が減ったことが理由だった。駅伝は全7区間だが、長距離部員が7人そろわず、短距離専門の選手が駅伝に出たこともあったという。
今年の長距離部員は10人と一定数を確保できた。全員が学校から電車で30分圏内に住む。10月の県予選では12連覇を狙った秋田工が1区で棄権するアクシデントがあり、56年ぶりの優勝を果たした。
背景には、野球部への対抗心もあった。主将の荻原太陽選手(3年)は「毎朝、野球部が室内練習場で練習している姿を見て、負けていられないと思って走ってきた」。朝練習で昨年の倍の12キロを走り込んだ荻原選手は、6月の全国高校総体東北地区予選会の3000メートル障害で優勝するなど力をつけ、チームをけん引してきた。
陸上部の活躍に野球部も期待を寄せる。吉田投手の弟で、今夏の甲子園に出場した2年生エースの大輝投手は「甲子園で陸上部に応援してもらったので、今度は自分たちが応援する番」とエールを送る。
地元住民も沸いている。学校近くの居酒屋「てる吉」の店主で、日中は金足農校内の食堂に勤めている鎌田貴康さん(52)は「少ない人数で頑張る姿を見てきたのでうれしい。お店に来るお客さんたちも『金農の陸上部が全国大会に出るのか』と驚きながら話している。雑草魂で旋風を巻き起こしてほしい」と期待を寄せる。
金足農が予選で出した2時間20分54秒は出場58校で最も遅い。都大路では厳しい戦いが予想されるが、56年前の記録を更新する2時間14分切りを狙う。
荻原選手は「個人の力では劣るが、粘り強さがチームの強み。甲子園で九回に逆襲を見せた野球部のように最後まで1秒を削り出し、笑顔でたすきを渡すことで地元を勇気づけたい」と意気込む。【皆川真仁】
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