昭和後期のプロ野球に偉大な足跡を残した偉大な選手たちの功績、伝説をアナウンサー界のレジェンド・德光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や“知られざる裏話”、ライバル関係とON(王氏・長嶋氏)との関係など、昭和時代に「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”、令和の今だからこそレジェンドたちに迫る!
“伝家の宝刀”フォークボールを武器に三振の山を築き、横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)のマウンドを15年間守り抜いた遠藤一彦氏。最多勝2回、最多奪三振3回、沢村賞1回。アキレス腱断裂の大ケガを乗り越えカムバック賞も受賞した“元祖ハマのエース” に徳光和夫が切り込んだ。
徳光:
僕たちの中では、“ハマのエース”と言えば、やっぱり“遠藤一彦”なんですよね。
遠藤:
ありがとうございます。
徳光:
ホエールズが川崎から横浜に移転して横浜大洋ホエールズになったときに入団して、ベイスターズに変わる前の年に引退された。一つのえにしを感じますよね。
遠藤:
でしょうね。はい。私もそう思ってます。
同学年の“怪物”江川卓氏に投げ勝った日
徳光:
現役時代で、目を閉じると蘇るシーンがあるとすれば何ですかね。
遠藤:
江川(卓)に投げ勝った試合ですね。
遠藤氏の言う江川氏に投げ勝った試合とは、プロ入り5年目、1982年9月21日の巨人戦のことだ。同学年の江川氏と投げ合い3対2で大洋が勝利した。
徳光:
江川さんに投げ勝ったことが、遠藤さんにとって大きな意味があったということですか。
遠藤:
大きいですね。あのときは江川に先制ホームランを打たれてるんですよ。味方に逆転してもらって勝ったんですけど、私は飛び跳ねて喜んでるんです。あの試合はそれくらい最高の試合ですね。
彼はいろいろあって1年遅れて入ってきて、それで、いきなり9勝してますからね。次の年は16勝、その次の年は20勝で連続最多勝。やっぱり並外れたピッチャーですよ。
各チームにエースがいるじゃないですか。だけど、私からすると、やっぱり江川が光り輝いた存在。西本(聖)、定岡(正二)と投げてるときは、そういう気持ちはないんですよね。だから負ける(笑)。
徳光:
なるほど、こういう話は面白いもんだね。
江川さんに投げ勝った翌年、1983年には最多勝、最多奪三振、沢村賞、ベストナインと投手タイトルを総なめ。これはやっぱり江川さんとの試合で勝てた経験が大きかったんですか。
遠藤:
あれで自信がついたんですね。「江川に投げ勝てた。他のチームのピッチャーなんかには負けられない」。そういう気持ちになったんですね。
あわや史上初の負け越しでの最多勝!?
1983年に18勝9敗で最多勝のタイトルを獲得した遠藤氏は、翌84年も17勝17敗で2年連続の最多勝に輝いた。
遠藤:
1試合残して16勝17敗だったんですよ。そのとき、中日の鈴木孝政さんと広島の山根和夫、16勝で3人が並んでたんですよ。だけど、負け越しの最多勝は過去にいない。
最終戦に勝たないと負け越しの最多勝になるなと思って頑張った。平松(政次)さんの引退試合も兼ねてたんで、勝ちゲームが平松さんの引退試合というふうになってるんです。
徳光:
一番いい花の持たせ方ですね。
遠藤:
私は別に負け越したくないだけ(笑)。
巨人のビジターユニフォームに憧れ
徳光:
遠藤さんは、やっぱり小さい頃から野球少年だったんですか。
遠藤:
いえ、本格的な野球は中学に入ってからです。
徳光:
それはどういうきっかけだったんですか。
遠藤:
やっぱり長嶋さんですね。テレビやラジオから聞こえてくるのは、長嶋さんの名前でしたから。
徳光:
でも、遠藤さんの少年時代には、出身地の福島県には、まだ日本テレビ系列のテレビ局はなかったですよね。
遠藤:
ないです。だから、巨人戦はビジターの試合しか見られませんでした。ですから、おもちゃのユニフォームに「TOKYO」って書いてました。「GIANTS」じゃないんですよ(笑)。
徳光:
長嶋さんを見て、何かビビッと来るものがあったわけですか。
遠藤:
そうですね。長嶋さんがやっているプレーの雰囲気、打っている雰囲気…、引き込まれるといいますか、憧れますよね。
「勝てば甲子園」の決勝戦で痛恨のボーク
遠藤:
中3のときに夏の甲子園、松山商と三沢の決勝戦を見ていて、「甲子園で野球をやりたい」って思いました。
1969年の夏の甲子園は松山商業(愛媛)と三沢高校(青森)が決勝で対戦。松山商の井上明投手と三沢の太田幸司投手の息詰まる投げ合いで、両チームとも得点が入らず延長18回0対0で引き分けとなる。翌日行われた再試合では、松山商業が4対2で勝ち深紅の優勝旗を手にした。この熱戦は高校野球史上に残る名勝負として語り継がれている。
徳光:
あの試合をご覧になったわけだ。
遠藤:
もう2日間。ですから、あの2日間のせいで夏休みの宿題が残っちゃいましたね(笑)。
徳光:
高校は学法石川。甲子園を目指して野球の名門校を選ばれた。
遠藤:
当時はまだそうでもなかったんですけどね。
我々が3年になるとき、55回の記念大会で福島県の代表が甲子園に行ける。それまでは福島県と宮城県とで代表決定戦をやってたんですよ。
それで、監督がちょっと力を入れて、学校の近所の中学を回ったようなんです。そのときに私が目に止まったみたいで。
徳光:
甲子園の経験は。
遠藤:
ないです。
徳光:
惜しいところまでは行ったんですか。
遠藤:
そうですね、2年のときは東北高校(宮城県)と代表決定戦をやりましたし、3年のときは双葉高校と決勝戦を戦って負けました。2年連続で決勝で負けました。
徳光:
遠藤さんが投げてたんですか。
遠藤:
3年のとき、私がずっと連投してきていたので、決勝が始まる前に、監督が「今日は2年生の誰々でいくから」っていう発表をしたんです。でも、私は「最後ですから投げさせてください」と直訴しました。
2回表に先制したんですけれども、その裏、1アウト3塁という場面で、振りかぶったときに、バッターがスクイズの構えをした。そのとき、どういうわけかボールが手から離れなかった。「あ、スクイズだ」ってなって、ボールを握ったまま、投げずにフィニッシュしちゃったんです。投げちゃえばスクイズ失敗もあったわけじゃないですか。それなのに握ったままフィニッシュした。
その後、「あ、いけない」と思って転がしたんですけれど、ボーク。結局、2対1で負けました。
徳光:
惜しかったですね。
遠藤:
でも甲子園に行ってたら、多分、私は野球を辞めてたと思います。満足するじゃないですか。そこで野球は終わってると思います。
徳光:
そういうこともあるんですかね。じゃあ、災い転じて…、良かったわけですかね。
遠藤:
良かったのかどうかは分かりませんけどね。
融通が利くから!? 東海大学工学部に進学
徳光:
大学は東海大学。専攻は工学部。野球選手にしては大変珍しい理系。
遠藤:
いや、別に珍しいんじゃないんですよ、ちょっと事情がありまして…。
当時の野球部長が工学部の部長だったんです。その当時、(東海大の所属する)首都リーグは平日、火曜日、水曜日の試合だったんですよ。どうしても授業を休む機会が多いじゃないですか。そういうことでの「融通が利くから工学部に行け」と。ですから、先輩も数多くいました。
徳光:
六大学に進もうというお気持ちはなかったんですか。
遠藤:
ちょっとした繋がりで、明治のセレクションは受けました。「ぜひ、うちに来い」とは言ってもらいましたけど…。
徳光:
どうして行かれなかったんですか。
遠藤:
東海のほうがいろいろと融通が効いたもんですから(笑)。
原辰徳氏入学で“黄色い声”のファンが200人
遠藤氏が4年生だった1976年、三池工業と東海大相模を甲子園優勝に導いた原貢氏が、東海大学野球部監督に就任。同時に原貢氏の長男・原辰徳氏が東海大学に入学した。東海大相模で甲子園に4回出場、“原フィーバー”を巻き起こすほどの人気選手だった原辰徳氏の入学で、練習場の雰囲気は大きく変わったという。
遠藤:
練習場は(神奈川県)平塚市の山の中にあって、普段はカラスしか飛んでないんですね。そんなところに黄色い声が飛ぶようになりましたからね。
徳光:
カナリアが来るわけだ(笑)。
遠藤:
土日の練習のときはすごかったですね。土曜日で100人くらい、日曜日になると200人くらいいましたね。
徳光:
そんなに。やる気になりましたか。
遠藤:
やる気になるような感じではないですね。「どうせ辰徳ファンだろうし」っていう見方しかないですから(笑)。
徳光:
お父さん、原貢監督はどうでしたか。
遠藤:
我々はもう4年生だったので、それほど厳しくはなかったですね。
ただ、最初の日に4年生のメンバーの中に、ポロシャツの襟を立ててたヤツがいたんですよ。いきなり張り手3発。
徳光:
原貢さんのムード作りですかね。
遠藤:
計算してたんでしょうね。
徳光:
一番厳しかったのは息子に対してだったみたいですけどね。
東海大・原氏VS法政大・江川氏…神宮球場が満員に
徳光:
大学時代に江川さんとの対決はなかったんですか。
遠藤:
僕は1回だけあります。明治神宮大会の決勝戦ですね。大学時代最後の試合。
徳光:
勝敗は。
遠藤:
5対3で負けました。彼に打たれて逆転されました。
徳光:
4年のときということは、江川・原の対決もあったわけですよね。
遠藤:
それでもう、神宮大会の決勝戦はすごく盛り上がりましたよ。それまでは外野席は開けてなかったんですけど、そこまで開けて4万3000人ぐらい入りました。
徳光:
すごいな。
遠藤:
異様な雰囲気。
徳光:
法政時代の江川さんはやっぱりすごいピッチャーでしたかね。
遠藤:
僕が生で見た試合は、ちょっと抜いて放っているんだろうなって印象でしたね。
徳光:
そうしないと、プロになってすぐに肩がおかしくなっちゃうんじゃないかって思ってたんですよね。結果的にはすぐに肩がおかしくなりましたけど(笑)。
遠藤:
いや、でも9年投げてますからね。
そのとき、江川の体を見てね、「うわぁ、すごいな、こんな体してるんだ」って思いましたよ。ケツ周りが120cmぐらいありそうでしたからね。
徳光:
そうですか。遠藤さんは細かったんですか。
遠藤:
僕なんか95cmぐらいしかなかったですね。大人と子供みたいでしたよ。
(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 24/8/27より)
【中編に続く】
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