木村敬一選手=2022年5月、東京都港区の東京ガス本社(森田景史撮影)

人は、情報の8割を視覚から得るという。

以前、2021年の東京パラリンピック競泳金メダリスト、木村敬一(東京ガス)に言われたことがある。「僕にとって、『目が見える』ということは特殊能力なんです」

筆者の手元に先日送られてきた木村の新著『壁を超えるマインドセット 尖らない生き方のすすめ』(プレジデント社)にも同じことが書かれていた。

特殊な能力

健常者と歩いていて、その人が道を間違える。落とし物が見つからない。初めて訪れた建物の入り口が分からない。つい、胸の内で「何でだよ」と毒づいてしまうのだと。障害のある人とない人、理解し合うことの難しさは、そんなところにも感じる―。そう書いていた。

木村は「全盲のスイマー」と呼ばれている。先天性の病気により視覚を失ったのは2歳のとき。彼の表現を借りれば「暗闇の世界」を生きてきたという。ところが、彼のつづる文章は彩色が実に豊かで、全身を耳にして得た世界観は立体的だ。

新著から。

<重い荷物を背負わされて、「重いよ、苦しいよ」と足元を見つめながら山道を登っていて、「ちょっと休もうか」と荷物を下ろした瞬間、目の前に広がる美しい光景に驚くようなものだろうか?>

これは、16年リオデジャネイロ・パラリンピックの後、単身で渡った米国での暮らしについて。リオでは「金メダル確実」の期待に応えられず、失意の中で新たな天地を求めた。現地で語学学校に通い、拙(つたな)いながらも英語で交渉を重ねるうちに、自分と周りを隔てる壁が溶け落ちる感覚があったという。

「全盲」という視座

4度目の出場となった東京大会で悲願の金を手にした木村は、肩の力を抜く生き方を覚えたとも語る。

<いまでは、「金メダル」という、防御力最強のシールドを手に入れたことで…謎の余裕をかますことができるのだ>

<「全盲である」という事実は、僕のアイデンティティであると同時に、ほかの人には持ち得ない激レアアイテム、入手困難な武器のひとつである>

2021年9月、 東京パラリンピックの競泳男子100メートルバタフライ・視覚障害S11決勝で、1着でゴールし叫ぶ木村敬一=東京アクアティクスセンター(桐原正道撮影)

東京大会を境に、ニュース番組やバラエティー番組からの出演依頼が増えた。競技者の視座。視覚障害者の視座。一昨年秋に結婚してからは、家庭人としても、飾らぬ思いを言葉にして世の中に投げ掛けている。

いまの木村は、その反響や化学変化を通して足場を確かめているような。全身を帆にして受け止めた世間の風を、前に進む力に変えているような。「金を取らねば」と自身を追い詰めた東京大会までの頃よりも、人生を楽しんでいるようなのだ。

<いまの僕は「メダルの色よりもタイム」という気持ちが強いことも事実である>

今夏のパリ大会を控えた本音という。昨年春から取り組むフォームの改造は、暗闇の中で身につけた我流の泳法から余分な肉を削(そ)ぎ落とし、理想の泳ぎへと近づくためだ。勝敗ではなく「より速く」。泳ぎ続ける本当の意味を見つけたのだろう。

木村敬一の「青」

「見える」と「見えている」は違う。筆者は、彼のいう「特殊能力」の持ち主だが、木村を取材し、木村のことを書く度に、彼の豊かな表現力と世界観に舌を巻いた。何も見えていない自分の筆の拙さにひるみ、木村にジェラシーさえ覚えた。

もし、目が見えるようになったら何がしたい? 野暮(やぼ)な問いかけをしたことがある。「混乱してしまうと思う。あまりに多くの情報が入り過ぎて」。いまの人生は十分に楽しいので、と笑っていた。目尻と口元に優しいしわを畳んで。

木村には1年近く会っていない。33歳。新著を読む限り、筆者の知っている頃よりも、人としての奥行き、味わいをさらに増したように映る。世の中を洞察する彼の目には到底かなわない。「見える」と「見えている」の決定的な違いを教えられたようで、いまは心地よい敗北感に浸っている。

もう一度、新著から。

<いまの自分に満足できること。むやみに人と比較して一喜一憂しないこと。いまの自分を愛し、自分が手にしているもので満足できる人生。隣の芝生をむやみにうらやまない姿勢こそ、他者を差別しない心の成熟なのだろう>

「青」という色の、まぶしさだけではない深みを、木村の言葉は教えてくれる。

(もりた けいし)

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