15年ぶりに企業登録チームで復活した日産自動車九州(福岡県苅田町)が、27日に開幕した都市対抗野球大会の福岡1次予選に登場した。初戦ではARC九州(北九州市)を相手に9―1で勝利。植山文彦監督(55)の懐刀として23年ぶりにチームに戻ってきた小川正洋ヘッドコーチ(57)は安堵(あんど)の表情を見せた。
小川さんは1986年に日産九州に入社。すぐに攻守で頭角を現し、90~93年には主将を務めた。翌94年に植山さんが主将となったチームは都市対抗の本大会に初出場し8強入り。小川さんは本塁打2本を放つなどして大会の優秀選手賞に輝いた。「小川さんは打って良し、守って良し、走って良し。チームの顔だった」と植山さんは振り返る。
ともに2001年シーズンで現役を引退し、小川さんは日産いわき工場(福島県)で勤務。植山さんは、日産九州が休部した翌年の10年に元選手らで結成されたクラブチーム「苅田ビクトリーズ」でコーチを経て監督となった。
23年9月、日産本社が野球部の復活を発表すると、植山さんは、コーチとして小川さんに白羽の矢を立てた。野球へのひたむきさと真摯(しんし)な姿勢を必要としたからだ。小川さんは驚きつつも「植山監督は(現役時に)15年間一緒に戦ってきた仲間。『俺でよかったら力になる』」と引き受けた。
就任後は守備練習に力を入れ、送球ミスから崩れないチームにするため、捕る、投げるの基本を選手に徹底させた。また、打撃のチームだった日産九州の強力打線を復活させようと、バットを振らせた。植山さんは「僕らにできていなかった指導を小川さんがやってくれている」と目を見張る。
94年の都市対抗準々決勝で小川さんが放った本塁打は、腕を畳んで内角のボール球を打ち抜いた会心の一打で、その瞬間を捉えた写真は今も自宅の居間にある。「東京ドームに立たないと感じられない何かがある」と語る小川さんは「自分の役目は若い選手たちをドームに立たせること」と新たな目標を見据える。
苅田町の日産スターグラウンドであった1次予選の初戦後、小川さんは「負けたら終わりの緊張感の中で選手は普段通りの野球をやってくれた。気持ち、気迫で絶対に負けないよう、集中力を磨いて次の戦いに臨む」と話した。【籔田尚之、松本昌樹】
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