JFL(日本フットボールリーグ)・ヴィアティン三重のDF野垣内(のがいと)俊(38)が6日、現役引退を発表した。Jリーグなどで活躍後、地元でのJリーグ入りを目指して三重に戻って7年目。全ての世代で県内のクラブでプレーした象徴的な選手に、17日のホーム最終戦を前に地元・三重で現役を終える思いなどを聞いた。
野垣内は引退を決断した理由について「出場機会が減っていた。まだやれる自信はあったが、中途半端に続けるよりは、自分のなかで区切りを付けようという気持ちが芽生えた」と明かし、「地元で引退できるのはなかなかないこと。ありがたい」と話した。
ただ、「昇格できなかったのは悔しい」とも。目標だった今季のJリーグ参入の可能性は消えてしまったが、17日のヴェルスパ大分戦(LA・PITA東員スタジアム)を含めて残り2試合に向けて全力を尽くす。
四日市市出身。小学生からサッカーを始め、中学卒業時には仲間と一緒に全国的にも知られる四日市中央工高に入学するチャンスもあった。ただ、当時は試合に出たり、出なかったりしていた状況から、「同じ高校に行ったら試合に出られるかわからない。みんなに勝ちたい」と、津工高に進学。高3時の2004年には県予選決勝で四日市中央工高を破り、全国高校選手権初出場を果たした。
さらに四日市大に進み、卒業後はFC岐阜(当時J2)に2009年に入団し、17年にはヴァンラーレ八戸(当時JFL)に移籍した。ただ、三重を離れてプロになった野垣内は「いつか地元でプレーしたい」という思いがあり、18年にJリーグ入りを目指すヴィアティンへの入団が実現した。
地元でのプレーは「メンタルが落ち着く」と長く主力として活躍したほか、今季は主将に就任した。「自分も試合に出られず、悔しい思いもあったが、練習から声を出して、雰囲気を盛り上げようとした」とピッチ内外でチームを引っ張った。
チームは当初、Jリーグ入りの条件の一つとなる「2位以内」を争っていたが、夏場から徐々に失速した。「守備からチームを作り、最初はうまくいっていた。ただ、守備ばかりしていると体力を消耗してしまい、夏場に影響が出た。相手にも研究され、もう一つ波に乗れなかった」と振り返った。
今季、野垣内には忘れられない経験があった。6月に天皇杯でJ1・FC東京とアウェーで対戦した際、試合には敗れたものの、自ら提案してFC東京のサポーターにあいさつに行った。
するとFC東京のサポーターから大きなヴィアティンコールが起こった。「鳥肌が立つような感覚で、感動で泣きそうになった。これが地元にあったら活気が出るだろうと改めて思った」と思いを新たにしたという。
Jリーグ入りという夢は今後、チームメートに託す。「チームのために戦うのも大事だが、個人として成長を目指すことも大事。個人のステップアップとチームの成長がかみ合うようになればいい」とエールを送った。
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