「情けないですが、今年は膝がどうにもならなくて厳しいですね」。ソフトバンクのリーグ優勝が決まった後の9月の西武戦で、今季初のリリーフ登板を終えた和田毅は、自らの体の厳しい現状をこう明かした。淡々と話す顔は今考えると、自らの限界を悟っていたのかもしれない。
和田はかつて自らの引き際をこう話していた。「直球で『スピードが出ない』『空振りが取れない』とか、1軍の先発投手としてもう通用しないと思ったら、自分から身を引くべきだと思っている」
今季も先発から始まるはずだった。選手としても共に戦った小久保裕紀監督は、4月の本拠地開幕戦の先発を早々に和田と決めた。だが、けがで先発を回避。5月に初先発し、今季も2勝(2敗)したが、7月を最後に先発マウンドは遠ざかっていた。
リハビリ中の4月下旬には、本拠地の来場者にレプリカユニホームをプレゼントするイベントに突然現れ、一人一人に丁寧に手渡し、ファンからは「最後までホークスで頑張って」などと声をかけられた。和田は「うれしかった。ファンの前で投げるのが自分の仕事。姿を見せられるように頑張っていきたい」。ファンや周囲を大切にする姿も、この人らしかった。
ドラフト自由獲得枠で2003年に当時のダイエー入り。04年オフに親会社がソフトバンクになった中で「最後のダイエー戦士」だった。22年限りで引退し、「野手最後」だったソフトバンクの明石健志2軍打撃コーチは、「若手には『どんどん話を聞きに行きなさい』と話していた。まずはしっかり休んでほしい」とねぎらう。
入団時の監督で現球団会長の王貞治さん(84)は「人に言えない体の具合とかいろいろ悩んだことも多かっただろう」。身長179センチ、体重81キロと細身の左腕の苦労を推察する。その上で「それを乗り越えてやろうという強い意志、そういうプロ野球選手にとって一番大事な部分を彼は持っていた」。
西武や米大リーグでも活躍した松坂大輔さん(44)と同学年の「松坂世代」も、日本球界では和田が最後だった。日米通算165勝の好投手が選手生活に別れを告げた。【林大樹、荻野公一】
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