選手の安全が確保されないまま、レースが開催されている。近年、不祥事が相次ぐボートレースで、レース場に勤務する医師から救急救命体制を問題視する声が上がっている。ボートレース宮島(広島県)の小松弘尚医師(65)は「高齢で救急救命ができない医師が多数勤務している。現状は選手への人権侵害だ」と訴え、監督官庁の国土交通省に早急な改善を求めている。(宮畑譲)

◆過去の死亡事故32件中、5件が溺死 救急体制は

 小松氏が1953〜2022年1月までに起きたボートレースの死亡事故32件の死因を調べたところ、脳挫傷や頸部(けいぶ)損傷のほかに、少なくとも5件が溺死だった。小松氏は「レース場には、転覆した選手を引き上げるレスキュー員もいる。標準的な技術を持った医師であれば、目の前で溺れた人を助けられないなんてことはあり得ない」と憤る。

ボートレース場の医療体制の改善を訴える小松医師=広島市で

 ボートレースでは、実施規則などで、レース開催時には、医務室に医師が常駐することを定めている。「水上の格闘技」とも言われるボートレースでは、転覆事故が頻繁に起きる。水の事故は救命措置が早く的確なほど、溺死や後遺症を防ぐことができる。  ボートレース宮島では、8月に一時、選手が心肺停止に陥る事故が起きた。この事故では、心臓マッサージや人工呼吸などが適切に行われたため、選手の命に別条はなく、間もなくレースにも復帰した。小松氏は「水の事故は事故直後の数分で生死や後遺症の有無が決まる。文字どおり1分1秒を争う。きちんと救命措置ができれば、後遺症も残らなくて済む」と話す。  一方で、小松氏は全てのレース場で救急救命措置が適切に行える医師が常に配置されていないと考えている。「高齢などが理由で、救急車を呼ぶまで実質的に何もできない、スキルが足りていない医師が少なからずいる。医師免許がレース開催のためのエクスキューズになっている」

◆9割近くの選手が「医務室の医師に不安ある」

 安全面への不安は多くの選手も感じているようだ。

レースが行われるボートレース宮島。手前は事故に備えるレスキュー員が乗る救助艇=広島県廿日市市で

 今夏、小松氏が選手に医療体制に満足しているかをアンケートしたところ、回答のあった約400人のうち9割近くの選手が「医務室の医師に不安がある」と回答。その理由に年齢や専門性などを挙げた。  小松氏は「選手も安全面、特に救急救命体制に不安を抱えながらレースに臨んでいることが分かる。『運良く助かったね』なんておかしな話。命を懸ける職場なんてあってはならない。そんな職場を放置する組織のガバナンスは問題だ」と指摘する。  現状を改善するために、小松氏はレース場に勤務する医師の救急救命措置のスキルの確認と訓練、医師の入れ替えを早急に行うべきだと強調する。その上で、地域の救命救急センターとの連携、医師の待遇改善なども同時に改善が必要だという。  「事故が起きるか分からない中で医師は1日拘束される。レース中はそれなりの緊張にさらされる。今よりも報酬を引き上げなくては、緊急時に対応できる医師は確保できない」

◆収益は右肩上がり「選手の安全対策にもっと予算を」

 医師の待遇改善などを行うには経費がかかるが、ボートレースの収益は増え続けている。  昨年度、過去最高となる2兆4220億円を売り上げ、11年連続の増加となった。近年はコロナ禍の巣ごもり需要もあり、インターネット投票が公営ギャンブル全体で増えているが、中でもボートレースは増加率が高い。  ボートレース宮島を運営する企業団は本年度、地元自治体に計36億円の配分金を還元した。35億円を超えるのは31年ぶりという。  小松氏は「これだけ収益が上がっていて、選手の募集には高収入をうたっている。しかし、安全対策にお金が十分回っているとは言えない。安全を放置したまま、もうかればいいというものではない」と言い、選手の安全対策にもっと予算を充てるべきだと訴える。

◆競走会と国交省「適切な方、問題ない」

 医師への手当を引き上げるだけでなく、地域の医師会、大学病院、拠点病院と調整する専門のコーディネーター役も必要だと小松氏は考えている。「医師会や大学の医局が積極的に医師をレース場に派遣することはない。国が事情に通じた人をコーディネーター役に任命すれば、事態を動かすことができる」

激しい水しぶきを上げて走るボートレースの様子=埼玉県内で

 以前から、医師の待遇改善をはじめ、コーディネーター役の設置を国交省に訴えているが、具体的な動きはない。「人命軽視と言われてもやむをえない。これまでの溺死が訴訟になっていないのが不思議だ。現状を放置したまま、今後、溺死事故が起きて訴訟になった場合、実施側や国は厳しい立場に立たされる」  小松氏が訴えている内容について、「こちら特報部」が競艇事業を統括する日本モーターボート競走会と国交省に見解を尋ねた。  競走会は「全ての医師は医師免許取得者であり、救急救命措置の対応力について問題ないものと認識している」と答えた。  国交省は「医師が言っていることの重要性は認識している」としつつ、「高齢だから駄目ということはない。適切な方だと理解している。安全全般については、施行者、競走会で検討するものと認識している」と回答した。

 小松弘尚(こまつ・ひろなお) 1985年、広島大医学部卒。医学博士。同大で臨床教授も務めた。専門は消化器内科。現在はボートレース宮島や地元クリニックに勤務する傍ら、歯科医院の理事長を務める。

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◆一時心肺停止から復帰の選手「運が悪かった、では済まない話」

 事故時の救急救命体制には、実際に事故に遭った選手からも不安の声が上がっている。8月27日、ボートレース宮島で、転覆事故に遭い、一時意識不明の重体となった、原田篤志選手(45)に話を聞いた。

山口支部所属・原田篤志選手(提供写真)

 レースでコーナーを回る際、後続艇と衝突、後頭部に衝撃を受け、意識を失った。うつぶせに浮かんだため、水を飲んで溺れ心肺停止に陥った。「『何秒か対応が遅かったら、元気に話せていない』と医師に言われた」。事故時の記憶こそ曖昧だが、幸い後遺障害はほとんどなく、1週間たたずに退院。事故から約1カ月後には、レースにも復帰した。  「今回は迅速に対応してもらえ無事だったが、運が悪かった、では済まない話だ」。こう話す原田選手は、以前から救急救命体制には不安だったという。「他のレース場で、かなり高齢の医師がゆっくりと歩くのを見たことがある。心肺蘇生には相当力が必要だと聞く。そんな医師で大丈夫なのかと。他の選手も同じように感じていると思う」  重大な事故には至らなくとも、ボートレースで接触、転覆事故は日常茶飯事。「今回、処置してくれた医師は体格のよい方だった。別のレース場だったらと思うとぞっとする。(医師や医療体制次第で)運悪く命を落とすなんて考えられない。事故に遭った自分だから言えることもあると思う」。原田選手は今後、選手会を通じて、安全面の改善を訴えていくという。

◆デスクメモ

 競艇漫画「モンキーターン」の主人公は落水事故で大けがをしたが、運良く名医の治療を受け、選手生命をつなぎとめた。現実の医療体制も運次第だとすれば、選手たちの不安はいかほどか。競走会と国交省は、現場の声に向き合い、さらなる安全対策の向上に尽力してほしい。(岸) 

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