DeNA―ソフトバンク(3日・横浜スタジアム)
ニックネームは「番長」、フォーマルな場ではリーゼントヘア。こう来ると、いわゆる「不良」のようだ。だが、三浦大輔監督(50)は、実は頭を下げなくてもよさそうな時でも謝ってしまうような「善人監督」。そんな勝負師に向いているとは思えない指揮官が、プロ野球の日本シリーズで横浜DeNAベイスターズを26年ぶりの日本一に導いた。優勝が決まると、「全員が力を発揮して一つになれた」と相好を崩した。
チームは1998年の日本一以降、長い低迷期に入った。「試合中に物が投げられて中断。選手がそれを拾いに行ったのは一番悔しかった」。主力の流出も相次いだ。だが、番長は横浜を見捨てなかった。ファンと相思相愛だったからだ。
2008年のフリーエージェント宣言時には、奈良県出身であることなどから、阪神入りをほぼ決めていた。だが、この年の11月のファン感謝デーで多くのファンから「三浦コール」が起き、引き留められたことで翻意した。以来、「チームのためにという思いが強くなりました」。
語り継がれるのは、12年7月、本拠地・横浜スタジアムで通算150勝目を挙げた際に残した名言だ。大喜びのファンを前に「皆さんにこんなに喜んでもらえたことがうれしい。横浜に残って良かったです」とヒーローインタビューで感謝した。当時、その現場を取材していた。番長は「横浜が好きっすから。横浜で優勝したい」とも吐露していたのが印象的だった。
人柄の良さは監督になってからも変わらない。今年5月29日の楽天戦で、昨年のM―1グランプリ覇者のお笑いコンビ・令和ロマンが応援隊長として始球式を務めた。その試合は残念ながら黒星。すると、番長は「すまなかった」とわざわざ頭を下げた。
家族にも謝る。10月の巨人とのクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージでチームは開幕3連勝した。妻が球場で観戦できるのは第4戦からだったが、そこから2連敗。「私、来ない方がいいのかな」と話した妻に「負けて申し訳ない」と謝罪した。
努力の人でもある。奈良・高田商高から92年にドラフト6位で当時の大洋(現DeNA)に入団し、16年の引退まで172勝184敗、防御率3・60。前回の日本一時の監督で、恩師に当たる権藤博さん(85)は「素材的にはそんなに球は速くなかったが、粘り強さはあった。あの馬力でよく頑張っていた」と懐かしむ。
21年シーズンから監督に就任したが、4季目の今季は執念が違った。8月27日の阪神戦で、ピンチを作ったウィック投手(31)が降板を拒否するようなそぶりを見せたところ一喝。普段は温厚な番長からは想像できないシーンだった。2人はすぐに話し合って和解。チームも引き締まった。
ペナントレースは結果的に3位に終わったが、CSを勝ち上がり、ついに頂点に立った。願い通り、チームカラーで真っ青に染まった横浜スタジアムで歓喜の瞬間を迎え、「最高にうれしい」と男泣きした。【岸本悠】
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