伝説の名投手・沢村栄治氏を記念し、日本プロ野球で優れた先発完投型投手に贈られる「沢村賞」の今シーズンの該当者が5年ぶりになしとなった。今年は戦死した沢村氏の没後80年に当たる。投手の分業化が進み、選考基準が時代に合わなくなったとの指摘は以前からある。沢村賞の名にふさわしい価値をあらためて考えた。(宮畑譲)

◆ベーブ・ルースから三振奪った10年後、27歳で戦死

 沢村氏は、戦前のプロ野球草創期に活躍した。1934(昭和9)年、日米野球でベーブ・ルースから三振を奪って注目を集めた。1936年には、史上初の無安打無得点試合を達成した。

生まれ故郷に建立された沢村栄治氏の銅像=2019年、三重県伊勢市で

 しかし、その後は戦争に翻弄(ほんろう)された。戦況の悪化に伴い兵士として召集。従軍中に手りゅう弾を投げすぎ、肩を痛めて以前のような投球ができなくなった。1944年、3度目の召集を受け、台湾沖で戦死した。27歳だった。  沢村氏の妻や娘を取材したことがある、スポーツライターの小林信也氏は「向こう気が強い、剛毅(ごうき)なタイプというよりも繊細なイメージがある」と振り返る。そして、「10代で草創期の日本プロ野球を背負い、ここまで盛んにした選手の一人だ」と解説する。

◆選考基準は「今どき難しい」10完投、25試合登板、200投球回

 戦後、その功績を記念し、1リーグ時代の1947年に沢村賞が設立された。2リーグ分立後の1950年からは、セ・リーグの投手だけが対象だったが、1989年からセ、パ両リーグに広がった。現在、過去に受賞歴のある堀内恒夫委員長のほか、平松政次、山田久志、工藤公康、斎藤雅樹の4氏による委員で選考している。  委員たちは「先発完投」が当たり前の昭和から平成にかけて一時代を築いた大投手たちだが、昨今は事情が変わりつつある。抑え投手との分業が進み、選考基準の10完投、25試合登板、200投球回などのクリアは難しくなっている。28日に会見した堀内委員長は基準について「大きく変えることはないと思ってもらっていい。選手には挑戦してもらいたい」と話した。  しかし、野球評論家の江本孟紀氏は「今どきこの基準を満たすのは難しい。沢村氏自身も選考基準を超えたのは1回だけ。今の時代、先発投手1人にこの賞を与える意味があるのだろうか」と疑問を呈する。その上で、「沢村氏はプロ野球の歴史を築いた一人だが、その認識は薄れている。単に数字を残した投手に与えるのではなく、沢村氏の業績を思い起こさせる賞、イベントにしたほうがよい」と提案する。

◆「レジェンドプレーヤーに敬意を払う習慣があまりない」日本だから

 米メジャーリーグでは、人種差別と闘いながら活躍したアフリカ系アメリカ人、ジャッキー・ロビンソン氏をたたえ、メジャーデビューした4月15日には現役選手らがロビンソン氏の背番号42を付ける。野球の活躍に加え、社会貢献に尽力した選手に贈られる「ロベルト・クレメンテ賞」もある。  日本のプロ野球には、「正力松太郎賞」があるが、多くは優勝監督に贈られる。選手の名前を冠した顕彰はほとんどない。先の小林氏は「米国と比べ、日本ではレジェンドプレーヤーに敬意を払う習慣があまりない」と指摘し、活躍した投手を対象にするのではなく、幅広く貢献した選手を表彰するべきだと考える。  「勝ち負けに関係なく野球の活性化や平和、友情などに貢献した選手に与える賞があってよい。沢村賞はそういう賞であってもよいのではないか」 

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