第102回全国学生相撲選手権大会(毎日新聞社・日本相撲連盟など主催、大正製薬協賛)=以下、選手権=は11月2、3両日、東京都墨田区の両国国技館で開かれる。団体戦は学生相撲の最高峰で、個人戦の優勝者は学生横綱として歴史にその名を刻む。
9月の大相撲秋場所で2度目の幕内優勝を果たし、新大関として11月10日初日の九州場所に臨む大の里(24)=二所ノ関部屋、本名・中村泰輝=も、日体大時代にこの大会で活躍した。学生時代、選手権に込めた熱意や当時の思い出を聞いた。【大村健一】
鮮烈だった「選手権デビュー」
「みんなで一つの目標に向かって走ったのは、すごく楽しかったですね。あの4年間があったからこそ、今の自分がある」。大の里が学生時代を過ごしたのは2019~23年。新型コロナウイルスの感染拡大もあり、稽古(けいこ)や大会が通常どおりにできなかった時期と重なるものの、笑顔で当時を振り返った。
「選手権デビュー」は鮮烈だった。海洋高(新潟)から日体大へ進むと、1年生で出場した第97回大会(19年)でいきなり学生横綱を獲得。1年生の学生横綱は29年ぶりだった。
優勝インタビューでは「今後の3年間で中村泰輝の時代を作っていきたい」と力強く宣言し、会場を沸かせた。
「今なら言わないですけど、若気の至りというか……。とがったこと言いましたね」と苦笑いする。しかし、大の里にとっての学生生活は、その言葉を実現させるために努力を重ねた4年間だった。
「おかげさま」を心に刻み
日体大では斎藤一雄監督のもと、「大相撲で通用するような体作りを教わり、精神面も鍛えてもらった」。繰り返し説かれたのは、謙虚さの重要性。「誰のおかげで強くなったのか。自分一人の力ではない。支えてくれる人がいたから今があるんだ。つねに『おかげさま』という気持ちを持ちなさい」。恩師の教えを一つ一つ心に刻んだ。
3年時は、学生相撲ならではの団体戦で日体大を7年ぶりの王座に導いた。「プロではありえない光景ですけど、勝った直後に花道などでチームメートが大騒ぎして喜んでくれるのを土俵上から見た時は、たまらなかったですね」
主将として40人超の大所帯を引っ張った4年時は、団体、個人とも選手権での優勝を逃したものの、国体(現・国民スポーツ大会)では、個人戦を制した。全日本相撲選手権でも2年連続のアマチュア横綱となり、幕下10枚目格付け出し資格(現在は廃止)を獲得した。大相撲の世界に飛び出して以降も、「中村泰輝の時代」そのものの活躍で、記録ずくめのスピード出世につなげた。
大の里にとって選手権は、どのような大会だったのか。
「アマチュア横綱になったときも、国体で優勝したときも、もちろんうれしかったですが、インカレ(選手権)は重みが違う。大学の最高峰を決める大会で、小さい頃から見てきた舞台にやっと立てた思いもありました。個人、団体の両方で優勝を味わわせてもらい、本当にうれしかったです」。学生横綱に与えられる日本刀と綱を授与されたときの重みは、その手に残っている。
卒業後の現在も、選手権の結果はチェックしており、自身の背中を追いかける学生力士たちに熱い視線を送っている。
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