野球部から前半アンカー
19日に開かれる東葛飾地方中学校駅伝競走大会(東葛駅伝)。今回は第27回大会(1973年)を振り返る。この大会でついに流山市に同市立南部中が優勝旗をもたらした。当時の優勝メンバーだった松本年高さん(69)に、今とは少し違ったルールも含めて、栄冠を振り返ってもらった。
――初優勝の背景を教えてください。
◆前年優勝は浦安中でしたが、その前に我孫子中が5連覇。でも南部中も10位以内で、陸上部顧問の野口浩樹先生も部員も優勝を目指して気合が入っていました。私は野球部でしたがメンバーに選ばれ、夏の大会が終わってから、駅伝の練習に合流しました。
――練習はどうでしたか。
◆「もっと力出せ」と野球部では味わったことのないほど厳しかった。雨が降って「練習中止かな」と楽観していたら、普通に屋外で練習があり8キロ走りました。陸上部と比べたら野球部の練習は楽勝でした(笑い)。
陸上部メンバーの並々ならぬ闘志がビンビン伝わってきて、選ばれた限りは全力を尽くそうと夜の自主練習にも参加しました。
――迎えた本番はいかがでしたか。
◆この大会では前半と後半に分け、合計のタイムを競うというルールでした。監督が自転車に乗っての伴走もありました。野田市役所前をスタートして流山街道を南下し、国道16号を走るコースでした。
私は前半のアンカーで、2位でたすきを受けました。ダッシュをしようとしたら伴走の先生から「慌てるな、我慢しろ」と指導があり、ペースを守って先頭の我孫子中の背中を追いながら国道16号を走りました。ラストスパートで5メートルまで詰め寄ったものの抜けず、国道6号と交差する手前の前半ゴールに駆け込みました。
その後も南部中は各区でブレーキがかかることなく、上位を維持し、合計タイムで他校を上回って総合優勝しました。
――おめでとうございます。
◆表彰式では賞状、優勝カップを授与され、3番目に優勝旗を受け取った私が記者に名前を聞かれたのですが、翌朝の新聞に「優勝旗を手渡され感激する松本主将」と書かれてしまいました。仲間から「偽りのキャプテン」だと(笑い)。
そして優勝したらやろうと先生と約束した通りに、優勝カップにコーラをなみなみついで、回し飲みして盛り上がりました。先生は練習は厳しかったが、生徒のやる気を引き出すのもうまかった。
その後も、就職した市役所で「優勝したメンバーだったよね」と持ち上げられました。流山の学校の優勝を祈りながら、今でも必ず沿道で応援しています。【柴田智弘】
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