目標高く羽ばたいて
「東葛駅伝」には、プロ野球・中日ドラゴンズの4番打者として活躍した谷沢健一さん(77)も、柏市立柏中学校のメンバーとして第16回大会(1962年)に出場し、優勝を果たしている。取材に応じた谷沢さんは「出場できたら名誉な大会。その後の人生で自分の目標値がどんどん上がっていくきっかけになった」と振り返る。
――東葛駅伝出場当時のことを覚えていますか。
◆中学3年の時です。当日は、柏市内を通る「花の4区」を走ったのですが、数日前から風邪をひいてしまい、注射を打って出場しました。後ろの走者に迫られ、必死の思いで走った記憶があります。僕は野球部の投手でしたが、捕手も別の区を走りました。
中学2年の時に、駅伝の監督から東葛駅伝に出てほしいと頼まれていたのですが、野球で忙しく、3年になり野球の大会が終わってから出場しました。出場依頼はされていましたが、学校の全男子が出る予選会に出てトップになり、正式に決まりました。
大会本番に向けた日々の練習で、受験に向けた学校の補習に出られず成績が落ちましたが、全校が沿道に出て応援する東葛駅伝のメンバーに選ばれるのは名誉なことでした。
結果は僕たちの優勝で、柏中としては4連覇となりました。翌日はグラウンドで校長先生が報告し、メンバーが全校生徒の前に並んだのですが、僕は熱を出して欠席してしまいました。ただ、監督の家でやった打ち上げに参加したことは覚えています。
――東葛駅伝の記念誌では、谷沢さんの頑張りで大きくリードしたものの最終区の走者は2位と4秒差で、冷や汗の優勝だったと書かれてあります。
◆実際は僕がブレーキだったんですよ。せきがひどく、苦しかった。柏中は3区まで独走だったのですが、僕がたすきを受けてから追い上げられました。でも、どうにか抜かれず次の走者にたすきを渡しました。
――今年の東葛駅伝の中学生ランナーに応援メッセージを。
◆僕は柏中の野球部で投手として県大会に出場し、東葛駅伝で4連覇目を達成した一員だったという実績で、64年の東京五輪で聖火ランナーに選ばれたんです。習志野高校2年の時で、幕張から谷津遊園まで走りました。
東葛駅伝は、野球とともに中学時代の思い出として強烈に残っています。そして、その後の目標値がどんどん上がっていくきっかけとなりました。走ることは何のスポーツでも基本です。出場選手には、自信を持ってレースに臨んでほしいし、目標値を高くして羽ばたいてほしいです。【伊藤一郎】
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戦後間もなく始まり長い歴史がある東葛駅伝は10月19日、松戸市~野田市を舞台に開催されます。76回目の今回はジェイコム千葉が初めて全コースを生中継します。大会開催まで、関連する話題を随時掲載していきます。
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