パリ・パラリンピックの帰国報告会で感謝の思いを口にする平林太一さん=松本市の長野県松本美須々ケ丘高校で2024年10月1日、高橋秀明撮影

 パリ・パラリンピックのブラインドサッカー日本代表、平林太一さん(18)は、普通科の県立高校である長野県松本美須々ケ丘高校(松本市)に通う高校3年生だ。同校に全盲の生徒が入学するのは平林さんが初めて。試行錯誤を繰り返しながら受け入れ態勢を整えた同級生たちとともに戦った日本代表のエースストライカーは「普通科の高校に通うことを反対されたこともあったが、この学校に来られたことは大きかった」と振り返る。【高橋秀明】

 「こんなにいっぱい笑顔にしたい人がいるだけで頑張れる。ロスでリベンジするので、一緒に戦ってくれたらうれしい」。1日、同校で行われたパリ大会の報告会。平林さんは4戦全敗の8位という結果に終わったことを悔しがったうえで、2028年ロサンゼルス大会への思いを口にした。800人余りの在校生からは、大きな拍手が送られた。

 先天性の網膜芽細胞腫で視力を失った平林さんは松本盲学校小学部1年の時に日本ブラインドサッカー協会の体験会に参加し、競技を始めた。23年8月の世界選手権では、チーム最多の4ゴールを決め、パリ大会切符獲得の原動力となった。

 ブラインドサッカーは視覚障害のある選手らが選手の声や気配、「シャカシャカ」という音が鳴るボールの音を頼りにプレーする。パリ大会では4試合すべてに出場したが、1万人近い大観衆の中で「正直なところ予想以上に音が聞こえにくかった」こともあり、ノーゴールに終わった。そんな苦しい場面でも「GKと1対1になってシュートを外した瞬間も、頭の中には皆さんがいた」と、同校の仲間たちが励みになっていたと明かした。

 盲学校の後輩たちにいろいろな選択肢があることを示したいとの思いから、普通科の高校を受験した平林さんに対し、学校側は授業で教師が黒板の文字をすべて読み上げるなど配慮。生徒たちも平林さんの入学をきっかけに点字訳ボランティアグループを発足させ、授業で使う教科書やプリントの点字訳を手伝うなどして支えた。

同級生たちと記念写真におさまる平林太一さん=松本市の長野県松本美須々ケ丘高校で2024年10月1日、高橋秀明撮影

 ボランティアグループの一員で同校3年の山口莉央さん(18)は「何か手伝えることがないかと考えて始めたが、新しいことを知るいい機会になった」。現在では絵本の点字訳をして盲学校で読み聞かせをするなど、活躍の場を広げている。山口さんは「(いろいろな場面で)こんなことであきらめてはいけないと考えるようになった」と平林さんと出会ったことによる自身の変化を感じていた。

 互いを理解することでともに成長した高校生活もあと半年。平林さんは「フィジカルを強化してシュートのパワーと精度も上げて、今度こそ勝利と笑顔をみんなに届けたい」と4年後を見据えた。

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