プロスケーターの羽生結弦さん(29)らが15日、今年の元日に発生した能登半島地震の復興支援を目的とした「能登半島復興支援チャリティー演技会」に出演した。「挑戦 チャレンジ」と銘打った公演で、被災地への思いを込めた舞を披露した。羽生さんのほか、プロスケーターとして活躍する無良崇人さん(33)、鈴木明子さん(39)、宮原知子さん(26)の計4人が出演した。演技後の主な談話は次の通り。
「少しでも演技で支援や助けになれば」
<演技会を終えての感想を>
無良さん なかなかチャリティーという形での演技会といっても、実際に開催することができないので、本当に羽生くんの力を使っていただいて開催して、滑る意義っていうのはすごく大きかったなと僕自身感じています。今回滑らせていただいた曲「燦々」の中の歌詞にもある「大丈夫だよ」っていうメッセージ性を、今回配信を見ていただいた方に伝えられたら良いなと思いますし、また、この演技会を見て、明日に向かっていく、次に進んでいくっていう、そういう活力になってもらえたらなという気持ちで今回参加させていただきました。
羽生さん 見てくださる方々、やっぱりつらい方もいらっしゃいますし、今元気だよっていう方も、本当にさまざまな立場の方々がいらっしゃると思います。そんな方々の中で少しでも笑顔の輪が広がってくれたら良いなと思いながら滑りました。
宮原さん なかなかないチャリティーショーという機会に自分も参加できたことを本当にうれしく思っていますし、自分のスケートを通して、人々への助けができたらうれしいなと思って滑りました。
鈴木さん こうした震災が起きるたびにすごく自分の無力さを感じてしまうんですけれども、でも、こういった機会で私たちが滑ることによって何か伝えられるものがあるんじゃないかっていう、その気持ちをしっかりと胸に、ここへ来て一生懸命滑りました。(羽生さんに向けて)本当にこういう機会をありがとうございます。
<羽生さんはプロスケーターになって、被災地との向き合い方に変化は出てきていますか>
羽生さん そうですね。やっぱり僕自身、(オリンピックの)金メダルを2個取りたいっていう気持ちの中で大きな一つの目的として、2連覇したところから、その被災地への支援だとか思いやりみたいなものをスタートしたいなという気持ちがあって、常に現役というか、競技自体を頑張ってきました。
それでやっと自分がプロに転向してから、こうやって徐々に徐々に、被災地であったりとか、本当にいろんな災害ありますけれども、そういったところに心をはせることができ始めています。そういった中でも、やっぱり自分はそのスケーターであるということが一番なので、どうしても演技ということで、何か皆さんに対してのご支援であったりとか、感情に対してのちょっとした助けであったりとか、そういったものになれないかなと思って。
「ノッテ」(ノッテ・ステラータ=東日本大震災のあった3月11日に合わせて羽生さんが座長を務めるアイスショー)は、とにかく「3・11」もそうですし、その時々で起こっているいろんな災害に対して(のものです)。で、今回は特に能登地方の震災に対してのチャリティーということでやらせていただきました。
<明るい照明での「春よ、来い」>
無いかもしれないですね。まず、その照明(スポットライト)が無いっていう状況を今回考えたのは、なるべく予算を少なく、なるべくほとんどのお金を、やっぱりチャリティーなので寄付をしたいということがあって。すごく規模を小さく、小さくするということがまず第一の目標としてありました。
最終的にそうやって製作資金を削減していくにあたって最終的になしということになったわけですけど、それはそれで見え方が違って、いつも見ている方々はまたいつもと違った感覚を感じていただけるのはうれしいですし、僕ら自身もやっぱりチャリティーということでの演技ということで気持ちも全然違いましたし、プログラムに込める思いも、より明確に能登地方の方々へっていう気持ちで滑ったと思います。いつもどんな時でもやっぱり思いをひたすら込めて滑ってますし、僕ら練習してる時はこういう照明なので、そこに対しての変化はなかったかもしれないです。
鈴木さん 久々です。
羽生さん 全員プロだから(笑い)。
鈴木さん すごく新鮮な気持ちで、きょうは滑ることができました。
<フィナーレの「Mrs.GREEN APPLE」(ミセス・グリーン・アップル)の「ケセラセラ」は羽生さんが選曲したんですか>
羽生さん いや、企画を担当してくださっている方なんですけど。でも、僕自身、ミセス・グリーン・アップルさんが本当に好きで。この曲自体が持っている、沖縄になっちゃうかもしれないんですけど「なんくるないさ」精神というか。どんなことがあっても自分に言い聞かせながら前を向いていくんだっていうような気持ちを鈴木明子さんが振り付けをしてくださって、そういう中で表現したつもりですし、みんなみんな本当にボーカルもそうですし、その楽曲の一つ一つの音をすごく大切にしながら、希望を胸に滑ったなという感じはしています。
<地元で取材していると、能登の地震が風化しているようにも感じています。今回羽生さんたちが滑ること自体に意味があったと思いますが、改めてその思いと、「ハイドロブレーディング」の深さについて>
羽生さん そもそもこのプログラムはあのぐらいつけるものなので、特にすごく深い意味があるわけではないんですけど、やっぱりこの土地、ここ周辺はすごく大きな被害があった場所ではないですけれども、地方としてすごく、すごく大きな被害があった。もっと大きく言ったら、ここの周辺の地面が大きく揺れたということもあって、何か静まってほしいなという気持ちもありました。
能登の震災の風化についても、僕ら「3・11」のこともそうですけれども、どんどん、どんどん、首都圏から離れているからこそなかなか報じられることもないですし。進展があれば一つニュースになったりすると思うんですけど、なかなか復興が進みにくい場所。また道路に関してもすごく交通制限が普通の場所よりも大きいということもあって、大変なんだろうなということを、僕自身、ニュースや実際に足を運んだ時にも思いました。
なかなか風化に対して僕らが何かすることは難しいんですけれども、それでも、先ほど言った(ように)、僕は震災の支援をしたいと思って、やっぱりオリンピック2連覇したいと思ったので、この2連覇というものを使って、また良い意味でこの知名度みたいなものを使って、今回の配信のチケットを買ってくださった方々もそうですし、注目もそうですし、ちょっとでも、ちょっとでも力になれれば良いなと思いました。
<実際に被災地を訪れた感想と、中学生と交流した際にどんな声をかけましたか>
羽生さん 初めてニュースとか新聞とか、画面だったり紙面だったりで現状みたいなものを何度も見る機会はあったんですけど、実際に生で見た時、こんなにもこのまま残ってしまっているんだっていう生々しさみたいなものはとても衝撃を受けました。
僕が(復興について)進んでいる進んでないに関して何か深いコメントを言えるわけではないんですけれども、やっぱりどうしても傷痕っていうものはすごく生々しく残っていたなという気持ちはありました。
また、地元の方々も、何か時が止まっているというか。ここでこんなことがあったんだよねっていうことを、いまだにそこに行く度に思い返してしまうというか、ここが壊れてしまったんだなということを思い返してしまうようなことをおっしゃっていたり、ここに行きたくないっていうことをおっしゃっていたりしたのも聞いて、すごく胸に刺さるもの、痛むものがあったなと思いました。
子供たちに会った時には、「どんなにつらいことがあっても、いずれ時が来れば何かはしなきゃいけない」「どんなにやりたくなくても、どんなに進めなかったとしても、締め切りが来たら結局は進まなきゃいけない」、そんなことを言いました。震災があってから半年以上が過ぎて、何ができるかとか、どんなことが進んでいるかとか、いろんなことを考えると思いますけど。来る時は来るし、来ない時は来ないから、もう「しょうがない」って思うしかないところもありますし。でも、その「しょうがない」の中に、笑顔とかその時の一生懸命がいっぱい詰まってたらいいなって思います。
<配信であっても、石川で滑った意味は>
羽生さん そもそも配信という形を取った時に選ぼうと思えば他の地域で滑るということも可能でしたし、なんか本当にいろんなことをしようと思えばできたとは思います。
ただ、やはり僕はなるべくそのつらかった方々、現在つらいと思っている方々、いろんなことで悩んでいる方々の近くでやっぱり滑りたいと思いましたし、なんか地域の力みたいなものとか、現場の空気みたいなものを僕らはすごく感じながら滑るので、その空気の大切さとか、ちょっとでもこの場所から、波動として、ちょっとでも空気が動いて皆さんの元に届けって思いながら、配信でも滑らせてもらいました。
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