車いすには小さなキーホルダーが付いている。
8月29日、パリ・パラリンピックのボッチャ個人戦に登場した有田正行(44)=電通デジタル=は、1人の友人の思いを背負って戦った。
キーホルダーの中に入っているのは、竹之内和美さんの遺骨だ。
竹之内さんはパラリンピックまで1年を切った2023年10月、敗血症のため53歳で亡くなった。有田と同じBC3クラスの強化指定選手として、パリを目指していた中の急逝だった。
有田と競技アシスタントの妻千穂さん(41)にとって、その存在はライバルを超えて「家族」だった。
シーソーゲームとなったブラジル選手相手の初戦。有田は最終エンドの逆転で制すと、ふっとほほえんだ
「和美とはいつも一緒です。今日の試合も、一番近くで応援してくれていたと思います」
試合後、そう言った。
急逝した竹之内和美さん
仲を深めたのは5年ほど前、国内大会で対戦した竹之内さんから「今度、一緒に練習してもらえませんか」と声をかけられたのがきっかけだった。どちらも重度の障害があり、自分でボールを投げられない同じクラスのライバルだ。だが、有田は「一緒に強くなって頑張ろう」と言った。
竹之内さんのアシスタントは双子の姉昭子さん(54)。有田夫妻と竹之内姉妹は、互いが住む大阪と宮崎を訪ね合い、練習を重ねた。そして心を通わせた。
ボッチャは、パラリンピック競技の中でも特に重度障害者に開かれたスポーツだ。進行性の病を抱え、競技に励みながら若くして亡くなる選手もいる。
竹之内さんは、全身の関節が慢性的に炎症を起こす「関節リウマチ」だった。
40歳を過ぎて歩けなくなり、45歳でボッチャを始めた。22年にはオランダであった国際大会で優勝。パリを目指し、今の代表選手たちとは切磋琢磨(せっさたくま)を続けてきた。
それだけに、あまりに突然の別れだった。
竹之内さんが亡くなった後、有田は昭子さんに言った。
「これからも家族だよ」と。
「いつも一緒」思い胸に
有田だけでなく、代表メンバーたちの心の中には竹之内さんがいる。
7月、代表選手の壮行会で、エースの杉村英孝(42)は、「私たちの中には、道半ばにして夢を絶たれた仲間の存在が大きくあります」と言った。
挙げたのは竹之内さんの名だ。こう続けた。
「ギリギリまで一緒に戦っていたメンバーとの別れは本当に残念で、悔しかった。でも一番悔しいのは本人。その思いを私たちは心に刻んで戦うつもりです」
有田も「和美も戦いたかったと思う。その思いはしっかりと受け継ぎます」という言葉通り、共に目指したパラリンピックの舞台で1勝を挙げた。自身はキーホルダーを、千穂さんは遺品のブレスレットを身につけて。
初戦には間に合わなかったが、30日から昭子さんもパリに駆けつけた。
「彼女の応援は、きっと自分たちの力になります」(有田)
有田や杉村の個人戦は終わったが、それぞれのクラスで団体戦がある。その活躍も、きっとパリの空に届く。【パリ春増翔太】
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