韓国には、世界最高水準のパラスポーツ専用のナショナルトレーニングセンター(NTC)がある。夏冬2度のパラリンピックを開催した韓国での競技やアスリートを取り巻く環境改善の取り組みは、3年前に東京大会を開催した日本にも参考となる。大会のレガシー(遺産)をどう残していくか。パリ・パラリンピックを機に考えた。(利川=イチョン=で、神谷円香、写真も)

フェンシング練習場の特注した人形の前で構えを見せる李炫錫(イ・ヒョンソク)ディレクター=韓国・利川で

◆「パラリンピック」の愛称、ソウル大会で正式採用

 首都ソウルから南東に車で1時間余り。2009年に誕生したNTC「利川選手村」は、敷地面積18万4000平方メートル。建物の各階にボッチャ、ゴールボール、カーリング、卓球など競技ごとの練習場があり、屋外にはサッカー場も広がる。

広い空間にさまざまなマシンが並ぶトレーニング場=韓国・利川で

 用具のサービスセンターも常設し、技術者が車いすの修理などに対応する。運営する大韓障害者体育会の李炫錫(イ・ヒョンソク)ディレクター(51)は「世界最高の施設だ」と胸を張る。  韓国には、パラリンピック「初開催地」との自負がある。1988年のソウル五輪に続いて開いた大会で、1964年東京大会時に用いた愛称「パラリンピック」を正式に採用。1989年に国際パラリンピック委員会(IPC)が設立されると、1960年にローマで開催された国際大会をさかのぼって1回目の夏季大会とし、1988年のソウル大会は8回目と位置付けられたが、五輪と同じ競技会場を使い、選手村を提供したり、聖火リレーを実施したりするなど、今日の形の礎となったからだ。

◆不公平だった障害者スポーツの扱い

元パラリンピック選手で、利川選手村の「村長」を務める朴鍾喆(パク・ジョンチョル)さん=韓国・利川で

 もっとも、2000年のシドニー、2004年のアテネ両大会のパラ・パワーリフティング金メダリストで、利川選手村の「村長」を務める朴鍾喆(パク・ジョンチョル)さん(57)は、ソウル大会は「障害者が外に出るきっかけ」にすぎなかったと振り返る。  1989年、韓国に障害者スポーツの統括団体ができたが、政府の所管は保健福祉省だった。スポーツとしての支援は不十分で「障害者は練習施設も借りなければならず、不満が高まっていた」(朴さん)。改善を求めるデモなども盛んだったが、状況は変わらず、アテネ大会では、五輪選手団には直行のチャーター機が提供された一方、パラリンピック選手団は民間機を乗り継いで現地入りしたという。  そうした不公平な扱いに世間で批判が高まったことも追い風になり、政府は2005年、所管を文化体育観光省へ移行。大韓障害者体育会の立ち上げや利川選手村の完成につながった。

2018年3月、平昌パラリンピック閉会式で手を振るマスコット「バンダビ」(右)

 2018年には平昌(ピョンチャン)冬季パラリンピックが開かれた。そのレガシーとして、政府・自治体は今、大会のマスコット「バンダビ」の名を冠し、障害者が使いやすい「バンダビナショナルスポーツセンター」の建設を国内各地で進めている。  6月までに15カ所が完成。政府は2027年までに全国150カ所で整備する目標を立てている。健常者も使えるようにしているのは「一緒にやる長所のほうが大きい」と考えるからだ。

◆日本でも「福祉からスポーツへ」の動き

 一方、韓国に後れは取ったが、日本でも2013年の東京五輪・パラ招致決定を機にパラスポーツを巡る「福祉からスポーツへ」の動きが本格化。2014年に障害者スポーツ行政が厚生労働省から文部科学省へ移管され、東京にあるNTCはパラ選手も利用できるようになった。  2019年には、パラスポーツ優先の東棟も完成。運営する日本スポーツ振興センター(JSC)は専用施設にしなかった理由を「五輪・パラ競技の共同利用を促進し、相乗効果による競技力向上を期待」したためと説明する。  スポーツ庁は今、東京大会のレガシーの一つとして、障害者スポーツセンターの機能強化を掲げる。「単なるハード(整備)ではない、幅広い機能を包含した地域の障害者スポーツ振興拠点」が目標で、今後どう具体化するかが課題だ。

専用練習場で調整するパラバドミントンの選手たち。トップ選手のタペストリーが壁に並ぶ=韓国・利川で



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