パリ・パラリンピック 陸上女子走り幅跳び(義足・機能障害T64) 決勝(31日、フランス競技場)
中西麻耶選手(39)=鶴学園ク= 7位
中西麻耶選手(39)=鶴学園ク=は、助走に入る直前、何度も何度も、指先や手のひらで小さくリズムを刻んだ。自分にとって最高の「音」を、体に刻み込むためだった。
パラリンピックには2008年の北京大会から5大会連続で出場してきた。だが、「勝って帰ることが使命」と気負っていた前回までとは、全く意味合いが違うパリの舞台だった。
昨秋、SNSでプロとしての活動をやめると宣言した。競技に全てをささげる生活に限界を感じ、自身のSNSのアカウントも閉鎖した。21歳で勤務先の事故により右膝から下を切断し、そこから始めた走り幅跳びで世界と戦ってきた。一方、12年ロンドン大会の後に一度は現役引退を表明するなど、山あり谷ありの競技人生。アカウント閉鎖は、そんな人生をリセットするかのようだった。
拠点を東広島市に移し、私生活では花屋などのアルバイトを掛け持ちしながら、所属先の学校法人で高校生らと練習してきた。「どんどん仲間が増えてうれしい」と充実感があり、パリの応援スタンドでは、東広島市の仲間が記したメッセージがぎっしり詰まった日の丸が揺れた。
「自分の思い通りに競技に取り組んでいる」と語る通り、前例に縛られない挑戦を始めた。ひとつが「音」の活用だった。陸上は未経験ながら打楽器の演奏経験のある山岡璃小さんに指導を依頼し、助走のリズムを「足音」で聞き分けてもらい、好記録を生み出すテンポを追求した。
パリの大舞台では1本目に4メートル91を記録した。だが、以降は踏み切りがなかなか合わずにファウルが続いた。5本目の跳躍前、コーチとして同行していた山岡さんから「思い切って、理想のテンポにかけてみたい」と言われ、全てを委ねた。結果的に5本目に加え、最後の6本目もファウルで終わったが、晴れ晴れした表情で2人は抱き合った。
「大きなものを無くしたかもしれないけど、大事なものは捨てなかった」とこの3年間を振り返る中西選手。競技を終えた直後に「まだ(自己ベストを上回る)6メートルに手が届きそうな自分と仲間がいる」。そう語る視線は、明るい未来を見据えていた。【川村咲平】
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