2019年ラグビーW杯開幕戦で、パスを出す田中史朗さん=東京・味の素スタジアムで、宮武祐希撮影

 ラグビー・ワールドカップ(W杯)に2011年から3大会連続で出場し、身長166センチという小柄な体格ながら日本代表の攻守の要を担った田中史朗さん(39)が今春、現役を引退した。いま、リーグワン・NECグリーンロケッツ東葛(我孫子市)のスタッフとして、ラグビーの普及と後進の指導にあたる。ほぼ四半世紀に及ぶ競技生活を経験し、次の世代に伝えていきたい思いとは何か、尋ねた。【高橋努】

 ――現役を離れた今、どんなことを感じていますか。

ラグビーの普及と後進の指導にあたる田中史朗さん=我孫子市で2024年8月21日午後5時35分、高橋努撮影

 ◆京都市の農家の三男坊に生まれ、才能もなく、体も小さかった自分が「まあ、ようやったな。やり切ったな」と思っています。たくさんの方にプレーを見てもらい、日本ラグビーのレベルアップを実感してもらった。幸せなプレーヤーでした。選手でいる以上は常にトップレベルでプレーしたかったし、肉体的に限界でした。

 子どもの頃から体は小さかったんです。だからラグビーに夢中になったのかもしれません。ラグビーボールを手にしたのは、野球もサッカーも体が小さい自分は不利だなと感じ始めていた小学4年の頃です。近所のスクールに参加しました。

 ――小柄な体格でも通用するのですか。

 ◆意外に思うかもしれませんが、ラグビーはどんな体格の人でもそれぞれ役割を担い、果たすことができるスポーツなんです。僕はスクラムハーフ(SH)でしたが、大きなフォワードの周りで機敏に動き回ってボールをコントロールするSHは、体の大小なんか関係ありません。

 「ラグビーなら自分もヒーローになれる」と思って、中学校では迷うことなくラグビー部に入りました(笑い)。ただ、練習は本当にしんどかった。でも、部活が終わって仲間といろんなことを話すのが楽しかった。チーム意識の芽生えだったと思います。

 ――出身高校は、あのテレビドラマ「スクール☆ウォーズ」のモデルになった伏見工ですね。

 ◆そうです。(泣き虫先生と呼ばれた)山口(良治)先生はすでに監督から総監督になられていましたが、顔を合わせる度に「ラグビーを楽しめ」と言われました。でも、それが分かったのは3年生になってからでした。

 自分たちが中心になって練習の内容を考え、取り組む。頑張れば頑張っただけ自分たちが成長していくのがわかるんです。そして花園出場。4強で終わりましたが、心の底からラグビーを楽しいと思いました。勝つことの喜びというより、昨日できなかったことが努力すればできるようになる喜びでした。

 ――ラグビーを通じ、子どもたちに伝えたいものは何でしょう。

 ◆ラグビーは一人ではできません。全員が一つの目標に向かって努力しなければ、前に進めません。(19年の)W杯で日本代表の合言葉となった「ワンチーム」とは、まさにそういう意味です。どんなチームスポーツも、それは同じかもしれません。

 だけど、ラグビーほど、人は一人では生きていけないということを思い知らされるスポーツはないと思うのです。一人でも多くの人に、それを知ってほしいと考えています。

たなか・ふみあき

 1985年、京都市生まれ。京都産業大を経て、トップリーグ(当時)の三洋電機(現パナソニック)に加入。2012年、世界最高峰とされる南半球のプロリーグ「スーパーラグビー」に日本人として初参戦し、15年までプレー。元バドミントン選手の妻智美さんと小5の長女、小2の長男との4人暮らし。

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