まさに神がかり的な躍進だ。第106回全国高校野球選手権大会で、大社(島根)が大社中時代の第17回大会(1931年)以来、93年ぶりの準々決勝進出を果たした。伝統校を束ねるのは、大社OBの石飛文太監督(42)。試合後に選手思いのコメントを残す熱血漢はどのような人物なのか。
涙ながらに選手たたえる
「本当にこの子たちの可能性、選手の夢は無限大だなと思う」
17日の早稲田実(西東京)との3回戦。大社は延長十一回タイブレークを制し、サヨナラ勝ちを収めた。劇的な勝利の後、石飛監督は涙ながらに選手をたたえた。
大社は1915年の第1回の地方大会から出場を続ける皆勤校。学校は縁結びの神様として名高い出雲大社の近くにある。
石飛監督は地元の島根県出雲市出身。大社高時代は二塁手としてプレーし、姫路独協大(兵庫)では準硬式野球をした。卒業後、島根県内の他の学校で部長などを務めた後、2011年に大社のコーチに就任。20年から監督となった。学校では国語を教えている。
「変わった子がいるなと思って見ていた」と話すのは、石飛監督の現役時代に大社の監督だった板垣悟史さん(57)だ。板垣さんは石飛監督が中学生の時に試合を視察した。そこで目を疑った瞬間があった。
「中学生に大人交じっている感じ」
石飛監督は試合に出場しているのにもかかわらず、攻撃時に一塁ランナーコーチをしていた。さらに走者が二塁に進むと、今度は三塁ランナーコーチに場所を変え、指示を出していたという。板垣さんは「中学生の中に大人が交じっているような感じだった。指示が的確だった」と振り返る。
高校時代の石飛監督は細身ながらチームのムードメーカーで、仲間から「文太、文太」と呼ばれ、人望が厚かったという。その後、監督とコーチの関係となった時も控え部員にまで気を配っていた。板垣さんは「選手が引退する時に監督の私ではなくて、(石飛)コーチにお礼に行っていましたから」と笑う。
現チームの井上誠也部長(27)は、大社で石飛監督の指導を受けた。「もうとにかくハートの熱い方。本当に熱量だけは負けない」と語る。
井上部長が高校を卒業する際、石飛監督から部員ら一人一人に手紙が渡された。井上部長への手紙には「俺でも教員になれたからお前にもできるよ」と書かれていた。石飛監督に影響を受け教員を目指していた井上部長はその言葉に感銘を受け、勉強に励んだ。
石飛監督は井上部長のクラスの担任でもあった。授業中の石飛監督は「めちゃくちゃ面白いです。結構体育会系の授業。結構話を振ってくれるので、キャッチボールがすごくできる。インタビューの時と一緒であのまんま。裏表がない」と言う。
公立校の快進撃に、地元島根を中心に大きな話題を呼んでいる。19日の準々決勝の相手は神村学園(鹿児島)。目標に掲げていた8強入りを達成し、石飛監督は「次の目標は選手が決めます」と言う。「神話旋風」はまだ続く。【長宗拓弥、生野貴紀】
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