今月1日で開場から100周年を迎えた兵庫県西宮市の阪神甲子園球場。その歴史の3分の2にあたる67年間にわたり、観客に愛され続けている甲子園名物の一つが「かちわり氷」だ。販売元の地元企業は「かちわり氷も100年続いていくように、発展させていきたい」と意気込む。
「かちわりいかがっすかー!」。猛暑が続く第106回全国高校野球選手権大会。甲子園のスタンドでは、伝統の売り文句が毎日響いている。17日も日なたにいると汗が噴き出る暑さで、午前中から多くの観客がストロー付きの氷が入った袋を手に取っていた。
かちわり氷は、西宮市内で飲食店を経営する梶本商店が夏の甲子園限定で販売している。梶本昌宏社長(49)によると、初めて販売されたのは1957年で、それ以前は球場でかき氷を販売していた。
もともとは祖父の國太郎さんがすし屋を経営していたため氷の取り扱いが多く「たこ焼きを盛り付けるような竹の器でかき氷を出していた」。ただ、当時はプラスチック容器が普及していない時代。竹の器では手や服を汚してしまう人が多かったという。
そこで國太郎さんは、梶本社長の父泰士さんが縁日で買った金魚すくいの袋にヒントを得て、氷を入れた袋にストローをつけた「かちわり氷」を発明。1袋5円で売り始めた。
「かちわり」の語源には諸説ある。単純に「かち割る」という言葉という説。相手の「勝ちを割る」縁起物という説。氷を割る時の音からとった説――。梶本社長も「亡くなった祖父に聞かないと、私もわからない」と苦笑する。
体を冷やす▽氷がとけた冷たい水を飲む▽飲み物を入れて冷やす――など、用途の広いかちわり氷は次第に甲子園の名物に定着した。売り上げのピークは、PL学園(大阪)の桑田真澄・清原和博両選手の「KKコンビ」が活躍した80年代半ば。販売員がスタンドに出ると「客が集まってきてその場で売れた」ほどの人気で、暑い日は1日に約1万5000袋が売れたという。
近年は冷凍ペットボトル飲料の台頭もあって当時より売り上げは下がったが、それでも甲子園名物の一つとして根強い人気は保っている。
梶本社長は家業に携わるようになった2000年代、甲子園のスタンドで親がかちわり氷を買い、子どもに「甲子園に来たなら、これを買うんや」と話している姿を見た。また、高校野球ファンに「甲子園という味付けがあるから、かちわり氷は生き残ってるんやで」と言われたこともあった。
自身にとっては、かちわり氷は生まれたときから身近な商品だったが、そうした歴史と伝統を肌で感じ「すごいものを取り扱っているんだ」と身が引き締まったという。
かつては球場内で氷を砕いて袋詰めしていたが、00年代の甲子園リニューアル工事で作業スペースがなくなったのを機に、より衛生的な工場での生産と袋詰めに切り替えた。72時間かけて不純物を取り除いた純氷は家庭で作る氷よりとけにくく、炎天下の甲子園でも長持ちするという。
それでも「商品として売れるのは、もって30分」。そのため販売員は商品が売れやすい試合序盤や中盤などにスタンドに出て、定番の売り文句で販売をしている。
近年はスポーツドリンクの粉末をセットで販売するなど、新しい形のかちわり氷も模索する。梶本社長は「伝統は守りながら、フレーバーやコラボなど発展した形のかちわり氷もお見せしていきたい」と話した。【野原寛史】
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