様々なドラマが生まれたパリオリンピックですが、女子ラグビー日本代表として戦った新潟市秋葉区出身の原わか花選手を直撃!集大成として臨んだオリンピックの舞台裏や支えとなった存在について語ってくれました。
■東京五輪から3年…気持ちに変化も
パリでの激闘を終えた7人制女子ラグビー日本代表・新潟市秋葉区出身の原わか花選手。
【原わか花 選手】
「バレーボールがすごく好きで、中学時代バレー部だったというのもあるが、(女子バレーの)古賀紗理奈選手に会った。他競技の方に刺激をもらいながら大会に挑めた」
無邪気な笑顔で選手村でのエピソードを話してくれました。
しかし、試合では武器とするスピードを生かし、グラウンドを激走!156cmと小柄ながら、2度目のオリンピックで躍動し、過去最高の9位に入りました。
【桶屋美圭アナウンサー】
「東京五輪の時は『イケイケゴーゴーではないが、そういう気持ちで行けた』と話していましたが」
【原わか花 選手】
「チームに貢献することはもちろんだけど、(東京五輪では)自分のやることで精一杯だった。東京から3年経って、チームの状況や雰囲気を見ながらプレーしたり、チームの中でも立ち位置を確認できた」
■一度は引退考えるも…家族の言葉が力に
自身とチームの進化を証明できたと振り返りますが…
【原わか花 選手】
「東京五輪が終わって1年~2年経ったくらいの時に、気持ち的に競い合うことがしんどくなったり、モチベーションがすごく下がったことがあった。東京五輪の時が大学4年生だったというのもあって、例えば就職や新しいことに踏み出すには、一つ良い区切りかなと思っていた」
それでも、引退を踏みとどまれた背景には、応援してくれる人たちへの感謝の思いがありました。
原選手が見せてくれたのは、会場で掲げられた横断幕。
「パリにラグビーという名のつぼみから金メダルという名の花を咲かせてください」
全てのメッセージを読み、改めて応援の力を実感したと言います。そして、愛犬の写真が入った応援Tシャツは…
【原わか花 選手】
「家族がパリに来た時に着て応援していたもの」
実は、原選手の心に再び火を点けたのは“家族”でした。
【原わか花 選手】
「ラグビーをやめようと思うと両親に伝えた時に、両親は私の頑固な性格を知っているので『わか花が決めたことならいいんじゃない』と、そっとしておいてくれた。でも、いつも元気な妹に元気がなくて、母親に聞いたら『お姉ちゃんがラクビーをやめるのが嫌で泣いていた。もっとラグビーをしているところが見たいと言っていたよ』と。そんなふうに私のラグビーを必要としてくれている、見たいと思ってくれている人がいるならやる意味がある」
■「ラグビーで培ったものは一生の財産」
応援し続けてくれた家族と8月に入籍する婚約者の支えもあり、集大成の大会を終えました。
【原わか花 選手】
「ラグビーで培った思いや大事な部分は一生、私の財産になる。競技の魅力だけでなく、気持ちの部分も皆さんに伝わっていたらうれしい」
原選手は「体のぶつけ合いも多いが、その中で助け合いや思いやりの心が生まれるのもラグビーの魅力」と話していました。
今後は地元の子どもたちにも大好きな女子ラグビーの楽しさを伝えていくそうです。
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