きのう(11日)の夜は「いけ!」「押せ!」と大興奮した人が多かったと思う。パリ五輪・レスリング女子76キロ級の決勝、山形市出身の鏡優翔選手がやってくれた。アメリカの選手を下し、見事金メダルを獲得、県出身選手の金メダルは68年ぶり。
幼稚園まで山形市内で過ごした鏡選手は、この春、東洋大学を卒業し現在サントリーの所属。去年の世界選手権で優勝しオリンピックは初出場。
順調に勝ち上がり、昨夜の決勝はアメリカの選手と対戦した。
(パブリックビューイング)
「優翔、頑張れーーー!」
山形市役所ではパブリックビューイングが行われ、約80人が集まる中、鏡選手が好きな花・ひまわりの黄色のTシャツ姿で駆けつけたのは、祖母の石沢チエ子さん。
(鏡選手の祖母・石沢チエ子さん)
「もうドキドキ。今まで一生懸命してきたものを出し切って頑張ってもらいたい。優翔だからできると思う」
チエ子さんの手には、鏡選手が大好きで今年2月に亡くなった祖父・政博さんの遺影があった。
(鏡選手の祖母・石沢チエ子さん)
「(政博さんも)パリに行っていると思う。特等席で見ている」
鏡選手は序盤、相手の消極的な姿勢によるペナルティーで1ポイントを先制。しかしその後、場外に押し出され前半の3分を1対1で折り返す。
後半は探りあいからの攻防が続き、残り1分30秒を切ったところ。
(実況)
「タックル行った! 返せるか、返した!」
鏡選手の武器・タックルが決まり2ポイントを追加する。その後は相手にポイントを与えず堅実に試合を進め…。
(実況)
「残り10秒を切った! さあ歴史が変わるか! 残り5秒、おさえた鏡、歴史を変えた! チャンピオン誕生! 鏡優翔、日本女子史上初・オリンピック最重量級での金メダル」
(鏡選手の祖母・石沢チエ子さん)
「良かった。ありがとうございました。これしかない。ありがとうございました。おじいちゃん喜んでいます、あっち(パリ)で。食べたいものいっぱい食べさせるから楽しみに待っている」
(鏡優翔選手)
「ずっと目指してきた誰も成し遂げたことがないこと、私がこの手で掴んだのが本当にうれしいし、今までやってきたこと・選択の答え合わせが今ここでできたと思う」
県出身選手の金メダルは、1956年のメルボルン五輪・レスリング男子に出場した笹原正三さん(山形市出身)以来68年ぶりの快挙。
(鏡優翔選手)
「最高。(メダルを見せて)私のです、これ。本当に最高の幸せいっぱいのオリンピックになりました」
鏡選手はこれまでケガが多く、大会を控えた5月にも右膝を痛めて、練習時間が十分ではなかったかもしれないが、困難を乗り越えての金メダルはまさに見事だった。
おばあちゃんのチエ子さんは、鏡選手が好きな「赤飯やナス漬けなどを作ってあげたい」と話していた。山形への凱旋が楽しみだ。
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