ブレイキン女子予選ラウンド、演技する難民選手団のマニジャ・タラシュ=コンコルド広場で2024年8月9日、平川義之撮影

 踊ることは文字通り、殺されるリスクをともなった。それでも彼女はダンスを続けることを選んだ。祖国を捨てたその先に、パリ・オリンピックへの道がつながっていた。

 9日に行われたブレイキン女子で、難民選手団代表として出場したアフガニスタン難民のマニジャ・タラシュ。初めての五輪の舞台で見せたのは、強烈なメッセージだった。

 ブレイキンは3ラウンド制で、1対1で対戦して完成度などを競う。タラシュは2ラウンド目で髪を隠していた布を取り、3ラウンド目では上着を脱いだ。その下に羽織っていたのは青いケープだ。そこには白い文字で大きく「アフガンの女性たちに自由を」と書かれていた。

 五輪では競技場や表彰式での政治的な抗議や発信が厳しく禁じられている。タラシュは予選で敗退していたものの、失格処分が下されたうえ、国際オリンピック委員会(IOC)から警告を受けた。

ブレイキン女子予選ラウンド、演技する難民選手団のマニジャ・タラシュ=コンコルド広場で2024年8月9日、平川義之撮影

 タラシュは首都カブールに住んでいた17歳のころ、ブレイキンに出合った。英公共放送BBCなどによると、頭を地面につけて踊る男性の動画を見つけ、衝撃を受けたという。地元のダンスグループの動画と分かり、すぐにその門をたたいた。

 アフガンは国民の大半がイスラム教徒で、保守的な傾向が強い。グループでも女性は一人だけだった。それでも、ブレイキンの魅力に取りつかれ、練習に励み続けた。

 2020年には練習場所の近くで爆弾テロが起き死者が出た。自爆テロを計画していた男が侵入してきて、寸前で治安部隊に取り押さえられたこともある。まさに命がけだった。

 21年8月にはイスラム組織タリバンがカブールを制圧し、政権を掌握した。タリバンは音楽やダンス、さらに女性の服装や女子教育も厳しく制限した。ブレイキンを続けることは死を意味する。タラシュは22年、クラブの友人らとスペインに亡命し、難民になった。

 スペインでも地元のダンサーとのつながりを持ち、ひたすら練習を続けた。難民選手団の代表に選ばれたのは、今年5月のことだ。

 「アフガンの少女たちは決してあきらめない」。五輪の舞台に臨む前、BBCにそう語っていたタラシュ。失格という結果に終わったものの、無言のダンスと覚悟のこもったメッセージは、会場に強い印象を残した。【パリ金子淳】

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