「僕とは正反対で驚くと思います」
オーヴィジョンアイスアリーナ福岡の近くにある喫茶店で松岡隼矢選手を取材中、同い年の選手の話になった。「近くにいると思うので呼んでみましょうか?」
程なくして現れたのは鈴木零偉選手。ブロック大会で幾度となく写真を撮影してきた選手だ。気さくでよく笑い、根っからの明るさがあふれ出て受け答えが気持ちいい。
対照的だが、仲のいい2人。練習前にゴールデンボンバーの「女々しくて」をスマートフォンで流し、ノリノリで準備する鈴木選手。黙々とスケート靴を履く松岡選手はその姿を見て私の方を振り返る。「ね。変わっているでしょ」
2人の関係性を「支え合う間柄?」と聞くと、鈴木選手が「一心同体です」と答えてニヤニヤ。近くで松岡選手も笑う。仲がいいのは、単に同い年だったり、気が合ったりするだけではない。お互いがキャリアの中で壁にぶつかってきたことも、結びつきの強さなのかもしれない。鈴木選手の競技人生を聞いて、そう思った。
小学3年生の時に転居した広島市でスケートを始め、高校3年生で全日本選手権に初出場。「これまでで一番大きな舞台だったけど、緊張しなかった」と振り返る。むしろ、羽生結弦さんや宇野昌磨さんらの姿に「リンクより皆がいる更衣室の方が緊張した」と笑った。しかし、それ以降は全日本から遠ざかっている。表情から寂しさが見え隠れした。
高校卒業後は法政大の理工学部に進学して上京。広島時代から合宿でコーチと縁のあった千葉県船橋市のリンクで練習を始めたが、これが大変だった。東京西部の小金井市にあるキャンパスとアイスリンクは電車で片道約1時間半。進学前からわかっていたものの、日々の往復は容易ではなく、練習時間が短くなるばかりだった。
また、ケガにも悩まされていた。大学入学後、徐々にひどくなっている股関節の痛みは特に深刻だ。波のある痛みと付き合いながら、「できることをミスしないように」と考えるも、思うような演技ができないことが続いていた。
学業と練習のバランスに悩んでいた時、高校生まで指導を受けていた秦安曇コーチが広島を離れ、「福岡フィギュアアカデミー」で活動することを知った。思い出すのは、高校時代の全日本の景色。「あの時の自分を取り戻したい。まずは練習で安定感を出したい」
2023年4月に大学を通信過程に切り替え、活動拠点を福岡に移した。秦コーチを頼って同アカデミーに入ると、ノービスの頃からブロック大会で競い合った松岡選手がいた。
「仲間とやる方が楽しい。周りでやめていく選手を見ると寂しくなる」。福岡に来て1年が過ぎ、松岡選手はカラオケに行ったり食事に行ったりする数少ない親友だ。全日本出場をつかみたい今季、「大会で4回転を降りたい」という目標も一緒。だからこそ、2人で出場したい。
映画が好きで、プログラムの楽曲は自分が見た作品から選ぶことが多い。昨季からフリーは「ニュー・シネマ・パラダイス」。なめらかな演技が多いからこそ「気持ちを込め、ジャンプと滑りのつながりを大事に表現したい」と語る。
「スケートは僕にとっての日課。やめてしまったら何もすることがない」。夕方軽やかにリンクに現れて練習に臨み、また軽やかにリンクを去って行く。それに加え、午前にはジムやプールなどでトレーニングを重ねる。
練習後、観客席の片隅で入念にストレッチする姿に背筋が伸びた。自分の体と向き合ってこそ生まれる演技。股関節の痛みは今も消えない。ケガに悩みながらも、決して逃げることはないのだ。
ストレッチが終わる頃、レンズを向けると足の指を動かしておどける鈴木選手。ファインダーに笑顔があふれた。福岡から全日本を目指す選手がいる。ひたむきにスケートと向き合う姿をひとりでも多くの人に知ってほしい。シャッターボタンを押す指にそっと力を込めた。【吉田航太】
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