陸上男子3000メートル障害予選2組、4着で決勝へ進んだ三浦龍司=フランス競技場で2024年8月5日、中川祐一撮影

 パリ・オリンピックの陸上で、三浦龍司選手(22)=SUBARU=が7日(日本時間8日早朝)の決勝に進んだ男子3000メートル障害は国内では長く有力選手が現れず、マイナー種目とされてきた。箱根駅伝でも注目された三浦選手の活躍で、日本陸上界の認識も変わった。関係者も熱を冷まさぬよう、次世代強化に目を向けている。

 3000メートル障害はトラックに設けられたハードルだけでなく、水を張った堀(水濠(すいごう))を飛び越える競技で、「サンショー」という通称がある。日本選手で過去に五輪の決勝に進んだのは1972年ミュンヘン大会の小山隆治さん、そして2021年東京大会の三浦選手の2人だけだ。

 三浦選手の場合、生まれ育った環境に競技との親和性があった。

 島根県浜田市出身。「周りが山に囲まれて海もあったし、全部が遊び場。ど田舎ほど体を動かすのに優れた環境はない」と幼少期を振り返る。

 近所で陸上教室が行われていたからという理由で小学1年から競技を始めると、中距離やハードル種目で実力を伸ばした。中学時代はどの種目もトップクラスとまでは行かなかったが、全国大会に出場できる実力はあった。走って、跳んで、粘って――。総合力が問われる3000メートル障害への適性を陸上教室の指導者に見込まれ、京都・洛南高から本格的に取り組み始めた。

 3000メートル障害を始めるときに苦労するのは、水濠を跳び越える恐怖心を取り除くことだという。その点、三浦選手は「最初は多少怖いとは思ったけど、僕は楽しかった。(育った環境が)よかったのかなと」。この種目の高校記録を相次いで塗り替えながら、駅伝の強豪でもある洛南高では全国高校駅伝で「花の1区」を担ってきた。

 高校卒業後に進学した順天堂大では20年の箱根駅伝予選会で1年生ながら日本選手トップでフィニッシュし、一気に注目を浴びる。21年東京五輪3000メートル障害での日本勢初入賞(7位)は、成長途上での快挙だった。

 日の目を浴びなかった種目に現れた新星は、日本陸上競技連盟の関係者に衝撃を与えた。

 「箱根駅伝を目指すことで走力がついてきただけでなく、ジュニア時代にハードリング技術に特化したトレーニングができていたのも大きかった」。日本陸連で3000メートル障害の強化を担当する岩水嘉孝さん(45)=住友電工長距離ヘッドコーチ=は、そう解説する。岩水さんは三浦選手の大学の先輩に当たり、03年の世界選手権(パリ)で決勝進出を果たしたかつての第一人者だ。

 三浦選手は23年世界選手権(ブダペスト)で、岩水さん以来20年ぶりに決勝に進み6位入賞。世界と渡り合える後輩の成長に期待を寄せつつ、「跳躍に必要な脚力や柔軟性はジュニア年代にこそ育まれる。早い段階での取り組みこそがポイントになると気づかされた」と語る。

 パワーと走力で押し切る1万メートルなどの長距離種目よりは、ハードルを跳ぶ技術力が問われる3000メートル障害の方が日本選手に分があることは、三浦選手が証明した。岩水さんらは女子からも有望株を発掘しようと、全国高校総体で男子のみ実施されている3000メートル障害の種目採用を働きかけている。

 男子では三浦選手に続く新たな逸材が現れている。今春、順大に進学した永原颯磨(そうま)選手(18)だ。長野・佐久長聖高の主将として23年の全国高校駅伝優勝に貢献した永原選手は、同年6月に3000メートル障害で三浦選手が持っていた日本高校記録を更新した。

 「三浦選手ら日本選手を目標にするのではなくて、三浦選手を超えて世界と戦いたい」と、永原選手。日本陸連が将来性のある選手を育成する「ダイヤモンドアスリート」にも3000メートル障害から初めて選ばれた。

 岩水さんによると、アトラクション要素もある3000メートル障害は海外では人気が高く、大会の最終種目で実施されることもある。「私自身、世界選手権で決勝に進出したときに魅力をうまく伝えられなかった後悔がある。三浦選手のおかげでこれだけ注目されている今、タレントを探し出し、発信していく仕組みを作らなくては」。岩水さんはそう決意する。

 口調は控えめながら、三浦選手も使命感を胸に秘める。「大それたことは思っていないが、(自分が)結果を出すことで関心を持ってくれれば。競技人口が増えることでいい循環が生まれるのは、ありがたいことだと思います」。自身の走りで、さらなるムーブメントを起こす。【パリ岩壁峻】

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