信じた道を突き進むアスリートは強い。パリ・オリンピックのレスリング女子68キロ級代表、尾崎野乃香選手(21)は周囲の懐疑的な声を耳にしながら、競技面では恵まれた環境とは言いがたい慶応大に進学した。レスリングも勉強も全力投球してつかんだ五輪の舞台。「今までの自分の頑張りが正しかったと証明したい」。戦闘態勢は整った。
慶応大を選んだ理由
「慶応では五輪は、難しいのではないか」。関係者の声を耳にしたのは、尾崎選手が大学の進学先を考えている時だった。小、中学生で全国制覇をして、東京・帝京高時代は日本オリンピック委員会(JOC)のエリートアカデミーに所属。17歳以下の国際大会で軒並み優勝するなど、勝ちまくった尾崎選手は将来有望な若手だった。
慶大はレスリング部はあるものの、強豪大学と比べて部員数は少なく、環境が充実しているわけではない。五輪レスラーは半世紀以上出ていなかった。
しかし、尾崎選手には明確なビジョンがあった。「レスリングをやめた後の人生の方が長い。新しいものを発見できるのは学生時代。レスリング以外に没頭できるものがほしいと思った」。自分の意志を貫いた尾崎選手は難関の慶大環境情報学部への進学を選択した。レスリングを通じて興味を持ったイスラム文学を専攻。課題やリポートもこなして、文武両道の道を地で行く。
理解していたとはいえ、レスリング面では苦労も多かった。五輪を目指す尾崎選手の練習相手をできる選手は部内におらず、日々の練習は「出稽古(でげいこ)」が中心。東洋大や神奈川大などに足を運び練習に励む。自分のペースで強化や課題克服に取り組める自主性が大事な練習スタイルは、自身の性格に合っていると感じる一方で、同世代のレスラーをうらやましく思うこともあった。「私は個人。チームという感覚があまりないので、仲間意識を持って頑張っている選手を見て楽しそうだなって」
「チャレンジ」で階級変更
それでも実力は着実に伸びた。2022年世界選手権62キロ級で優勝。順調にパリに向けて進んでいるかに見えたが、その後国内の大会で連敗し23年世界選手権への出場を逃した。ライバルの元木咲良選手(22)=育英大=が銀メダルを獲得し、62キロ級の代表に決定。五輪まで1年を切って、二つ上の階級の68キロ級だけ代表が空白のままだった。
「チャンスがあるのであればチャレンジすべきだ」と階級変更に迷いはなかった。食事の量や回数を増やし、肉体改造に着手。週末は男子グレコローマンスタイル60キロ級、東京五輪銀メダルの文田健一郎選手(28)=ミキハウス=の父・敏郎さん(62)が指導する山梨・韮崎工業高に通って、階級を上げた分、力が強い相手が増えるため防御を徹底的に強化した。とにかく攻めて勢いに乗る尾崎選手のプレースタイルの幅が、格段に広がった。
残る五輪代表1枠を目指し、有力選手も続々階級変更してきた23年12月の国内大会で優勝。首の皮一枚、代表への道がつながると、今年1月の五輪代表決定プレーオフでは、残り10秒を切って片足タックルを決め、大逆転で切符をつかんだ。
「自分が一番強い」
元々の武器だったスピードも維持しつつ、今では体格面でもすっかり68キロ級の選手に見劣りしなくなった。速さと強さを兼ね備え、進化した自らのスタイルに尾崎選手も自信がみなぎる。「今は階級を上げた意識もなくなって、68の選手ですっていう感じ。相手に何も劣っていないし、自分が一番強い」。鍛え上げられた体がうれしくて、鏡の前でポーズを取ることもある。
一度はどん底を見たが、そこからはい上がれたのも、信じた我が道をまい進してきたから。その過程では普通の選手よりもさらに多くの人に支えられた。「毎日のように金メダルを取って表彰台で笑っている姿、メダルを持って皆さんのところにあいさつに行く姿を想像している。必ず金メダルで恩返ししたい」。5日、日本レスリング勢の先陣を切って試合に臨み、自分の歩みが正しかったことを示す。【パリ角田直哉】
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