陸上女子100メートル予選を終えたアフガニスタン代表、キミア・ユソフィは2日、1枚の紙切れを持って取材エリアに現れた。
そこには母国の国旗と同じ黒と緑、赤のペンでこう書かれていた。「教育」「スポーツ」「私たちの権利」――。「これが私のメッセージです」とユソフィは言った。
ユソフィは3年前、東京オリンピックの開会式で旗手に選ばれた。「母国の国旗を高く掲げて、本当にうれしかった」。アフガン代表としての誇りを感じた。
それから約3週間後、アフガンの首都カブールに戻っていたユソフィは、思わぬ決断を迫られた。米国などと戦闘を続けていたイスラム主義組織タリバンがカブールに攻め込んできたからだ。
タリバンは女性の就労や教育を厳しく制限することで知られ、女性のスポーツ参加にも極めて否定的だ。それでもユソフィは当初、「アフガンに残りたい」と考えていた。この国は世界の舞台に立った自分のような女性を必要としていると感じていた。
だが、東京五輪に女子選手として出場し、旗手までつとめたユソフィは、タリバンにいつ標的にされてもおかしくない。治安当局からも「安全を保証できない」と国外脱出をうながされ、隣国イランに逃れて難民となった。「アフガンを離れてから、どうすればいいのか分からなかった。とにかく次の道を探していた」
救いの手を差し伸べたのはスポーツ界だった。オーストラリア・オリンピック委員会などがビザの発給などを支援。2022年に家族とともに豪州へ渡り、練習を再開できた。
一方、アフガンを掌握したタリバンは、国内で女性の大学教育を停止した。
地域によっては初等教育も制限しているとされ、学齢期の8割の女子が学校に通えていない。「ジェンダー平等」をうたうパリ五輪では、アフガンは国外に逃れた選手を中心に男女3人ずつが出場しているが、タリバンは女子選手については「認めない」としている。
それでも、ユソフィは2日、各国選手と並んで堂々とした走りを世界に見せた。トップに約2秒遅れの最下位だったが、その姿は自信に満ちていた。
「私は人間だ。自分が何をするのかは私が決める。ほかの誰にも決めさせない」。競技を終えたユソフィは、母国の少女たちに向けてこう呼びかけた。「あきらめないで。機会を探して利用しなさい。どんな小さな一歩でも」【パリ金子淳】
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