【阪神-巨人】一回裏阪神2死満塁、前川が右前2点適時打を放つ=阪神甲子園球場で2024年8月1日、大西岳彦撮影

○阪神9―2巨人●(1日・甲子園)

 1924年8月1日に甲子園大運動場(当時)が開場してから100年を迎えた2024年8月1日。阪神の将来を担う21歳の前川右京が記念の一戦で3本の適時打を放ち、計4打点をたたき出した。走者を還す度、阪神甲子園球場はファンの大歓声に包まれた。

 一回2死満塁。3球目、得意の外寄りに来たフォークを引っ張った。「真っすぐのタイミングでうまく拾えた」。打球は先達から受け継がれた土のグラウンドを転がり、右前へ。2人が生還した。試合後、岡田彰布監督は「やっぱり先制でしょうね」とたたえた。

 85年の日本一の時の監督だった吉田義男さん(91)は試合前に行われた記念式典に出席した後、「(名グラウンドキーパーの)藤本治一郎さん(故人)には、絶えず鏡のごとしと内野の整地をしていただいて、野球選手を育ててくださった」と感謝の言葉を口にした。その美しい球場で、前川は五回と六回にも適時打を放って躍動した。

 前川は奈良・智弁学園高時代に、夏の甲子園で準優勝を経験した。2年目の昨季はけががあって33試合出場にとどまったが、今季は卓越した打撃で主力に定着した。

 シーズンを通して1軍で戦うのは初めて。6月には打撃不調で他の選手のバットを借りて練習したり、「バテてきたから(バットの)重いの振れないです」と弱音を吐いたりするなど、紆余(うよ)曲折を経ながらも必死に戦ってきた。

 阪神甲子園球場は春、夏の高校野球の会場や阪神の本拠地として、歴史を刻み、価値を高めてきた。今は自らのバットを信じて振る若き主砲候補は「手応えはあるが、一日一日これからもちゃんと積み重ねて、最後いい成績を残せるように。まずはそこ」と、野球の聖地で自らの価値を高めようとしている。【荻野公一】

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