パリ・オリンピックが開幕し、山梨、長野両県にゆかりの選手の活躍が届いている。柔道女子57キロ級で、長野県出身、山梨学院大卒の出口クリスタ選手(カナダ代表)が金メダル、山梨県出身の舟久保遥香選手が銅メダルに輝いたほか、総合馬術の団体戦で大岩義明選手(nittoh、本社・長野県諏訪市)が銅メダルを獲得。卓球女子シングルスでは、山梨県出身の平野美宇選手が1回戦を突破し、31日に予定されている2回戦に臨む。
シングルス代表としては初めて五輪の大舞台に立った山梨県出身の平野美宇選手(24)は29日(日本時間)、1回戦をストレート勝ちし、危なげなく突破した。母・真理子さん(55)は「このステージに立つまでの美宇を一番近くで見てきた。本当にあなたを尊敬している。思い切り夢のステージを楽しんできてね。家族みんなで応援しているよ」とエールを送る。
美宇選手は3歳の時、真理子さんの手ほどきで卓球を始めた。ジュニア時代から頭角を現し、2016年リオデジャネイロ五輪で補欠入り。21年東京では団体戦に出場して銀メダルを手にし、今回のパリで念願のシングルス代表をつかんだ。
真理子さんは現在、家族とともにパリで応援する。五輪のシングルス代表は「(美宇選手の)幼いころからの夢、小1から17年間努力して、追いかけてきた舞台」と話す。
大学時代に卓球部主将も務めた真理子さんが中央市の自宅で開いた卓球教室に、3歳だった美宇選手は「入れて」とせがんだという。真理子さんによると、美宇選手は卓球を始めた頃のことを「自分1人が小さく、一番下手で、なんとかママに『くび』と言われないように必死にがんばっていた」と話していた。真理子さんは「とにかく卓球が大好きで、早く強くなりたい、うまくなりたいと、ボールを追いかけていた」と懐かしむ。
小1の時に、全日本選手権バンビ(小学2年生以下)の部で優勝し、「夢はオリンピックで金メダル」と宣言。小学生ながら高校の練習に参加し、中国代表経験のあるコーチの指導も受けた。小学校卒業後は練習拠点を東京都北区にあるJOCエリートアカデミーに移し、山梨を離れた。
美宇選手はその後、リオ五輪の代表争いに加わったものの補欠に終わる。同年のワールドカップ、翌年の全日本選手権で史上最年少優勝するなど一時は勢いに乗ったが、コロナ禍で1年延期された東京五輪でもシングルス代表に届かず、真理子さんが「辞めるかもしれない」と心配した時期もあった。
そしてパリ。真理子さんは「東京(五輪)の選考レースは悲壮感を感じたが、今回は違った。自分で決めに行くという気持ちがあった。心が成長していた」と娘を見守る。美宇選手も「(夢が)かなうか、かなわないか分からなかった時に比べたら全然苦しくない」と、東京の時との違いを口にしたという。
中央市は、美宇選手の母校・中央市立田富北小学校の体育館でパブリックビューイングを予定している。女子シングルス2回戦は31日午後5時から、先着300人。勝ち進めば3回戦以降も実施する。女子団体戦は8月5日から(いずれも時間未定)。問い合わせは同市生涯教育課(055・274・8522)【佐藤薫】
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