試合が嫌で小学生時代に団体戦の会場から逃げた。中高時代はサボることばかり考え、勝利への執念はなかった。パリ五輪柔道女子70キロ級の新添(にいぞえ)左季=自衛隊=にはこんな過去がある。31日の本番を前に「金メダルを取りたい」と燃えている。何が新添を変えたのだろうか。(渡辺陽太郎)

会見に出席した70キロ級・新添左季=2022年、東京都北区の味の素ナショナルトレーニングセンターで

◆柔道をやめるつもりが…大学監督に根負けし継続

 2歳上の兄の影響で柔道を始めた。勝負事は好きではなかった。投げて勝つ快感があったから柔道を続けられた。奈良・天理高では全国大会に出場したものの、飛び抜けた成績は残せず「卒業後は柔道をやめて、警察官になろうと思っていた。奈良県警に願書も出した」。山梨学院大から誘いがあり、何度断っても山部伸敏監督は新添を求めてきた。「そこまで言ってくれるのなら」と進学と競技の継続を決めた。  「おまえは日本一を目指さないと駄目だ」。入学直後、山部監督から、そう言われた。山梨学院は日本一を目指すチームだ。監督が才能を感じ熱心に勧誘した期待の星を激励するのは自然なことだった。一方で新添は「私は実績がないのに。この人は何を言っているんだろう」と感じていた。  日本一を目指すチームメートと過ごし、徐々に変わっていく。熱心な指導を受け、翌年には全日本ジュニア体重別選手権で優勝した。「(山部)先生すごい。私も上を目指せるんだと思った」。勝利への執念が生まれた瞬間だった。

◆金メダリストとの出会いで「寝技嫌い」克服

 変わらなかったこともある。寝技嫌いだ。投げて勝つことがすべてだった。小中高では練習メニューに寝技の文字を見つけただけで「絶望した」。初の日本一を経験した大学でも「隅っこで隠れていました。投げればいいって思っていたから」。それでも結果を残せた。200キロを超える背筋力を生かした内股は簡単に止められない。自衛隊入隊後も国際大会で通用したから「ますます寝技を嫌いになってしまった」という。  新添を変えたのは大学、自衛隊の先輩で2021年東京五輪女子78キロ級金メダルの浜田尚里だった。「職人」と称される寝技の名手だ。だが、寝技だけでなく、一本勝ちを狙う立ち技も器用にこなす浜田の試合を見るたび、新添は「選択肢が増えることは悪くない。寝技も重要じゃないか」と思えるようになった。パリ五輪内定前から寝技に本格的に取り組んだ。浜田にも教えてもらったが、「先輩はレベルが違いすぎて、私には理解できなかった」と苦笑する。そこで腐らずコーチから指導を受け、何度も動きを繰り返した。

◆「アスリートとして甘ったれていた」生まれ変わった28歳

五輪5大会連続出場の谷亮子さんの講演を聞き、パリへの闘志を高める女子70㌔級代表の新添左季(2列目左から2人目)=4月

 今年4月、五輪前最後の実戦となったアジア選手権の3試合はすべて寝技で制した。新添は「自分なりに頑張ってきた結果が出てよかった」と寝技への不安を払拭した。日本女子の増地克之監督も「新添は内股だけではない。海外の選手は衝撃を受けたでしょう」と評価する。  投げて勝つ快感は忘れていない。パリ五輪でも内股で勝ちたい思いはある。それでも「立ち技から(寝技へ)の移行をもっと早くしたい」と精度向上に向け練習を続ける。金メダルを取るには寝技は必要だと理解している。「投げればいいなんて、アスリートとして甘ったれてましたね」と過去の自分を思い出し苦笑いも浮かべた。  小学生時代に逃げたときは、チームが優勝。新添は戦わずしてメダルを手にした。28歳の自分はもう逃げない。勝利への執念がある。寝技嫌いも解消した。魅力すら感じている。最高峰のメダルは自分の力でつかみとる。 

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。