米原市での壮行会で出身校・伊吹高の後輩から渡された応援旗を披露する島田あみる選手(左)と森花音選手=滋賀県米原市春照で2024年7月7日、吉見裕都撮影

 パリ・オリンピックに出場するホッケー女子日本代表(愛称・さくらジャパン)には、滋賀ゆかりの2選手が選ばれている。2大会連続出場となる彦根市出身の森花音選手(28)と、初出場で米原市出身の島田あみる選手(26)だ。二人は県立伊吹高(同市朝日)の2学年違いの先輩後輩でもある。過去にも多くの日本代表選手を輩出してきた同高女子ホッケー部の強さを知ろうと練習場を訪ねた。【礒野健一】

強豪でも卓越した2人の力

 伊吹高のホッケー部は男女ともに全国レベルの強豪で、インターハイ、国体、全国高校選抜大会の三つの全国大会を、男子は計13回、女子も計13回制している。27日に長崎県で開幕する今年のインターハイにも男女ともに出場する。

 森、島田の両選手が同時に在籍した2014年は山梨県であったインターハイに出場。初戦で1―3と敗れたが、唯一の得点は森選手が決めた。

 当時も指導をしていた椿裕規監督(39)は森選手について「ずば抜けたストライカーで、ドリブルにもシュートにもセンスがあった。芯の強い子だったが自己中心的ではなく、広い視野で周りを見て気遣いもできる選手だった」と振り返る。島田選手は「明るくあっけらかんとした性格で、スピードのある選手だった。技術は既に高いレベルにあったが、伸びしろも感じさせるスケールの大きさがあった」と評する。

伊吹高の練習風景

 ホッケー部の練習場は学校から約2・5キロ東にある「OSPホッケースタジアム」(米原市春照)。伊吹山を望む地に青い人工芝が美しく映え、スタンド下には米原市が育んだホッケーのオリンピアンの写真が掲げられる滋賀ホッケー界の聖地だ。

 練習前、部員全員で必ず唱える言葉がある。「清らかな汗を求め 苦しみなくして栄光なし 1日1ミリの前進を」。この言葉通り、時に苦しい練習に汗を流しながら、選手は少しずつ成長していく。基礎練習を大事にし、雪に埋もれる冬季は校内での筋トレなどに多くを費やす。ホッケーが盛んな米原市では小学生から競技を続ける選手も多いが、椿監督は「新入部員の半分が初心者ということもある。経験者が初心者に教えることで、自身の技術改善やプレーの幅広さにつながり、チーム力も向上している」と説明する。

先輩選手のオリンピック出場を祝う横断幕の下、練習に励む伊吹高女子ホッケー部員=滋賀県米原市春照のOSPホッケースタジアムで2024年7月18日、礒野健一撮影

 スティックにボールが当たる乾いた音がスタジアムに響き始めた。インターハイ開幕を目前に控え、練習は実践形式に時間が割かれていた。後衛からの速いロングパスを、腕とスティックを目いっぱい伸ばしてトラップし、ゴール前に的確なパスを通す。パスを受けた選手は相手をフェイントでかわし、最速150キロ超のシュートを放つ。そのスピード感と迫力は、どんなスポーツにも引けを取らない。

 中学時代はU15(15歳以下)日本代表でプレーした山本鈴菜選手(1年)は強いストロークとフィジカルが魅力だ。7日に同市であった森、島田両選手の壮行会では先輩に話しかけることはできなかったが「二人のキレのあるドリブルは憧れ。いつか私もさくらジャパンでプレーしたい」と夢を語る。田中心那選手(3年)はU18(18歳以下)日本代表の副主将。昨年、島田選手が所属する南都銀行(奈良)との練習試合で島田選手とマッチアップした。「代表選手はこんなにスピードがあるのかと圧倒された。シュートまでの速さは本当にすごい」と振り返った。

 伊吹高女子ホッケー部は28日午後0時20分にインターハイ初戦を迎える。その約5時間後の午後5時半、さくらジャパンもドイツとの初戦を戦う。伊吹高の宮元緋未主将(3年)は「今年の私たちはロングパスも、中盤からの速いパスにも強みがある。さくらジャパンと一緒に勝ち上がって優勝します」と力強く誓った。

米原、なぜホッケータウンに?

JR米原駅の改札口正面に掲げられた「ホッケータウン米原」の横断幕=滋賀県米原市米原で2024年7月22日、礒野健一撮影

 スティックを持って躍動する男女のホッケー選手と「Hockey Town MAIBARA」の文字が目を引く横断幕が、JR米原駅改札口前に掲げられている。パリ・オリンピックのホッケー女子に出場する森選手、島田選手をはじめ、これまでにオリンピアンとなった米原市ゆかりの選手や指導者は男女計12人に上る。人口約3万7000人の町が、いかにしてホッケータウンとなったのか取材した。

 2023年11月に日本ホッケー協会が、競技の普及や振興に寄与した米原市を含む全国19自治体を「公式ホッケータウン」と認定した。

 歴史は46年前の1978年にさかのぼる。3年後の81年に県で開催が予定されていた第36回国体(びわこ国体)で、後に合併して米原市となる旧伊吹町がホッケー会場と決まり、国体に先駆けてホッケーのスポーツ少年団を結成したのが始まりだった。

 県外から招へいした強化選手が子供たちの指導も担い、翌79年には町立春照(すいじょう)小が全国優勝。町民のホッケー機運は一気に高まり、びわこ国体でも成年男子が優勝を果たした。優勝メンバーで、今は市スポーツ推進課で勤務する上村浩さん(62)は「たくさんの人が応援に駆け付けてくれ、試合後は子供たちからサイン攻めにあい、ちょっとしたヒーローだった」と懐かしむ。

 その後、県立伊吹高が全国屈指の強豪校に育つなど、町のホッケー人気は高いままだったが、2005年に4町が合併して米原市が誕生すると、旧伊吹町とそれ以外でホッケー熱の格差が生まれた。25年国民スポーツ大会(国スポ)の県開催が決まると、米原市はホッケー会場の誘致を決め、市全体で機運を盛り上げる取り組みを始めた。

 旧伊吹町以外の小中学校にホッケーの出前授業を実施。滋賀で育った選手に継続して滋賀でプレーしてもらう受け皿として、20年に米原市を拠点とする社会人チーム「ブルースティックス(BS)滋賀」を結成した。ホッケー日本リーグ男子に参入し、日本一を目指して奮闘を続けている。

さくらジャパン活躍、ブームに期待

 同課にはBSの二人の現役選手が、ホッケーとの二足のわらじで活躍している。渡辺幹太さん(23)は「僕が今ホッケーを続けられていることが、40年以上に渡って先輩たちが引き継いできたことの成果。選手としても職員としても、更にホッケーを盛り上げたい」と熱く語る。戸田樹さん(24)は同市で開催する小中学生の全国大会の運営にも携わる。「BSも来年の国スポも結果にこだわり、日本一を目指す。もっとホッケーに注目してもらい、観客を呼び込めるよう頑張りたい」と力を込める。

米原市スポーツ推進課で働く元国体県代表の(左から)竹中滋さん、上村浩さん、ブルースティックス滋賀の現役選手の戸田樹さん、渡辺幹太さん=米原市役所で2024年7月22日、礒野健一撮影

 びわこ国体優勝メンバーで、当時は中学教師だった竹中滋さん(67)は「ホッケー人気の継続は米原市民の気質もある。マイナースポーツであっても、一度引き受けたからには大事に育てていく律義さ。目に見えない努力が良いレガシー(遺産)を根付かせた」と分析する。

 県ホッケー協会の高木淳司事務局長は「パリで女子日本代表(さくらジャパン)が活躍すれば、大きなホッケーブームがやって来る。その機を逃さず、代表チームの合宿を誘致するなど、日本ホッケーの聖地として米原を育てたい」と意気込む。湖国の新たなホッケー伝説をつむぐ、さくらジャパンはパリ五輪で大輪を咲かすことができるか。

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