開新高校出身の赤﨑暁選手は、熊本県出身者としては金栗四三さん以来100年ぶりの男子マラソン日本代表だ。『令和の韋駄天』のルーツを取材した。

男子マラソン日本代表・赤﨑暁選手

開新高校出身で男子マラソン日本代表の赤﨑暁選手は、パリ行きを決めてからは所属先の九電工が本拠地を置く福岡でトレーニングを積んでいる。

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去年のMGCでパリ五輪の切符をつかんでからわずか6日後、赤﨑選手の姿はふるさと大津町にあった。走る楽しさを伝えたいと普段から時間の許す限りイベントに参加。この日も笑顔で子どもたちと触れ合い、ふるさとの空気を満喫した。

サインを求める列ができると最後の一人まで熱心にペンを走らせ、サインをもらった小学2年生の子どもは「うれしかったです。(パリ五輪で)優勝してほしい」と話した。

両親に聞く 赤﨑選手のルーツは

1998年、市民ランナーの父・俊文さんとバレーボール好きの母・貴子さんの間に生まれた赤﨑選手は幼いころから活発な性格だったが、母には心配なことがあったという。「小さい時から体弱くて、風邪ばっかりひいてたんですよ。小学校入る前、幼稚園のころからずっと」と貴子さんは話す。

両親は、様々なスポーツで体を鍛えることを提案。中でも赤﨑選手が熱中したのはバレーボールだった。抜群の運動神経でコート内を駆けまわり、攻守の中心として活躍した。両親のどちらに性格が似ているかと聞かれた、母・貴子さんは「基本的なところは主人だと思います。負けず嫌いなところは私だと思います」と話した。

父・俊文さんは、オリンピックを決めたMGCの後で赤﨑選手から最高の贈り物をもらったという。「IDにぶら下げた2位(の順位表)。もうボロボロ。雨の中の2位だったんですけど。もう破れてますし、だけど重いですね。本当に激しい戦いだったんだろうなって。本人も必死にこのチャンス逃すまいとして最後まで走りぬいた結果だと思いますね」と俊文さんは話す。

赤﨑選手は「父は結果をあまり求めていないので、無事に走ってくれたら、それで良いという感じで。結果が悪くて怒られることもなく、全てプラスの方にもっていってくれるようなことを毎回レースが終わって悪い時でも言ってくれますし、よかったらちゃんとほめてくれるので、自分にとってはいい後押しになったと思います」と話し、父から学んだ走る楽しさが競技の原点だという。

金栗四三以来100年ぶりの熊本出身代表

オンオフの切り替えを聞いてみると、赤﨑選手は「パンケーキですかね。基本的に甘いものは何でも好きなんですけど。熊本に帰ってからも『バケツパフェ』っていうのがあって。前川珈琲?あそこにバケツパフェがあって。本物のバケツじゃないですけど、食べたりとか。自分のためには作らないですけど、誰かのためにケーキとか。一回、マカロンだったり、ロールケーキとか色々作りましたね」と話す。

意外にも無類のスイーツ好きだと明かしてくれた赤﨑選手は、実は「韋駄天」と呼ばれた日本マラソン界の父金栗四三さん以来、100年ぶりに熊本から出たマラソン男子日本代表でもある。

赤﨑選手は「(熊本から100年ぶりの代表は)光栄なことだと思いますし、熊本からも自分が思った以上の声援だったり、見てくれる方も多いので、そういう方に結果で恩返しできるよう勇気と元気を届けられる走りができるよう頑張りたい。人生全てかけたっていう思いでパリオリンピックに挑みたいと思っていますし、『マラソンの赤﨑』と言ってもらえるように(将来的に)日本記録を目指していこうと思います」とパリ五輪への意気込みを語った。

パリオリンピックの男子マラソンは日本時間の8月10日午後3時にスタートだ。

(テレビ熊本)

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