2023年の世界選手権で優勝した藤波朱理(右)と父でコーチの俊一さん=俊一さん提供

 三重県四日市市出身でパリ・オリンピックに出場するレスリング女子53キロ級の藤波朱理(あかり)選手(20)=日体大。同大コーチの父俊一さん(59)は、中学2年生だった2017年から公式戦133連勝中の娘を4歳の時から指導し、二人三脚で歩んできた。

 「幼いころから負けず嫌いで生真面目。何事も全力で取り組んでいた娘に人生を懸けてきた」。1988年のソウル五輪の日本代表候補だった俊一さんはこう振り返る。

 自身が代表を務めるいなべ市の「いなべレスリングクラブ」に通っていた8歳上の長男勇飛さんの影響を受け、藤波選手のほうからレスリングを始めたいと志願してきた。「タックルの反応も早いし、筋があった」。負けず嫌いな性格も相まって、練習を重ねると小3から全国少年少女選手権を4連覇し、頭角を現した。

藤波朱理とのエピソードを語る父でコーチの俊一さん=いなべ市員弁町のいなべ総合学園高で2024年6月29日午後0時52分、渋谷雅也撮影

 だが、中学生になると負けが続いた。2学年上の選手と対戦することが増え、体力とフィジカルでかなわなかったからだ。

 ある日、試合で負けた藤波選手は涙を流しながら「もっと強くしてください」と頼み込んできた。その時「本人が強くなりたいと思ってくれないと強くできない。頼まれて強くしてやりたいと本気で思った」という。

 ランニングなど体力を付けるために基本練習を徹底的に繰り返すと、努力の成果は如実に表れた。中2の9月から連勝街道を走り始め、中3で出場したジュニアクイーンズカップでは高3の相手を降して優勝。16、17歳の選手が争う世界カデット選手権でも頂点に立った。

 俊一さんが監督の県立いなべ総合学園高に入学後もタイトルを総なめ。世界で戦える確信が生まれ、五輪で金メダルを獲得するという目標が明確になった。

「娘に人生を懸けた」 父の決断

いなべ総合学園高の生徒に指導する藤波俊一さん=いなべ市員弁町のいなべ総合学園高で2024年6月29日午後1時37分、渋谷雅也撮影

 一方、俊一さんは人生の岐路に立たされてもいた。20年に指導力を買われ、日体大からコーチの依頼が届いたのだ。高校卒業後も藤波選手を指導できるが、給料は半減。1年契約という不安もあった。だが、決断した。

 「高校の教師を辞めたら後戻りすることもできないし、勝たせなければいけないプレッシャーもある。だが、娘がオリンピックの日本代表になって世界で勝つ自信があった。娘に人生を懸けた」

 21年、娘より1年先に日体大へ。いなべ総合学園高で外部指導者を続けながら日体大でコーチを務めた。ただ、もう一つやることがあった。五輪のリングサイドで娘を支えるため、日本代表のコーチとしてセコンドに付くこと。ナショナルコーチの研修を受けて合格し、同年から日本代表のコーチに就いた。

 日体大に進学した藤波選手は23年9月の世界選手権で優勝し、パリ五輪日本代表に内定。今年3月の練習中に右肘脱臼で手術を受けるアクシデントに見舞われたが、俊一さんは焦る娘に不安な姿を見せずリハビリを見守った。

 「自分が焦り過ぎてけがの状態を気にし過ぎてしまうと娘にストレスを与えてしまう。なるべく距離を置いてけがに関して話さないようにした」

 藤波選手は6月に復帰して本格的に練習を再開。同23日には四日市で開かれた壮行会に親子で出席した。友人や後援会の関係者から激励を受け「いよいよオリンピックが近づいていると実感がわいてきた。娘と一緒に頑張らないといけない」と気が引き締まった。

 パリの大舞台で娘に期待しているのはただ一つ。「連勝記録ばかり注目されるが、あくまでも金メダルを取ることが最優先。なんとしても勝ってもらいたい。優勝を決めて一緒にマットの上で喜びたい」【渋谷雅也】

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