サッカー元日本代表の長谷部誠選手(40)が17日、今季限りでの現役引退を表明した。長谷部選手の歩みを、節目に立ち会った記者が振り返る。
◇
試合前に配られたメンバー表には、長谷部選手にキャプテンを示す「C」のマークがあった。サッカー日本代表で初めて大役を任されたのは、2010年5月30日にオーストリアのグラーツであったイングランドとの強化試合。この日を境にチームは劇的に変わり、長谷部選手は変わらなかったと記憶している。
当時、日本代表は重苦しい空気に包まれていた。ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会を前に、国内での強化試合はいいところなく連敗。岡田武史監督が「ズルズルと今までの流れを引きずるわけにはいかない」と打った手の一つが、当時26歳の長谷部選手をチームの軸にすることだった。
試合前に告げられて「びっくりした」という長谷部選手だが、試合後は「キャプテンは誰がやっても変わらない。自分も特別なことができるわけではない」と話し、淡々と役割をこなしたように見えた。
W杯直前の抜てきに平静を保っていられるのはなぜか。日本代表が南アフリカ大会の事前合宿地としていたスイスに戻り、3日後に発した言葉でふに落ちた。
「普段から、キャプテンでなかった時も自覚を持ってやらないと、と感じていた。キャプテンをうまくフォローできるように、と」
それまでは当時32歳の中沢佑二さんがゲームキャプテンで、控えの立場だった34歳の川口能活さんがチームキャプテンだった。そうしたベテランに頼り過ぎず、いつもと変わらず、心を整える。プレーヤーとしてチームに不可欠な選手だとは思っていたが、それ以上の存在だと気づかされた。岡田監督の「みんなが信頼している。オープンマインドで話す」という評価にも納得した。
グラーツでのイングランド戦を境に戦い方は大きく変わった。それまでは前線から猛然とプレスを仕掛けボールを支配しようとしていたが、自陣に強固なブロックを敷く戦い方になり、中盤の底に「アンカー」を置くシステムに変更。GKは川島永嗣選手がレギュラーに起用された。その後、最前線に本田圭佑選手を据える岡田ジャパンの最終形へと変化する。
日本は自国開催以外のW杯で初のベスト16に進み、長谷部選手は主将として日本代表最多81試合に出場していく。そんな転換点だった。【江連能弘】
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。