◆「限界を超えた先が大事」
「泣きそうになった」。4日に公開した母校国士舘大での稽古後、斉藤は苦笑した。無理もない。午前中に約4時間、ウエートトレーニングや走り込みで体を追い込んだ。午後は約2時間畳に上がり、最後の乱取り稽古では息があがっていた。下の階級の選手が相手でも、その表情はゆがんでいた。乱取り稽古で汗を流す斉藤立(上)
五輪本番が迫るこの時期を体調維持や細かな技術確認などに充てる選手もいる中、あえて週2、3日は体力を使い切る稽古をする。「この状態で万全の選手を相手にすればより(質の高い)稽古になる。限界を超えた先が大事。誰よりもやっていると自信になり勝ちにつながる」と明確な狙いがある。 精神面だけではない。組み手のリズムや技のつなぎなど技術面も意識する。この日は最後に相手を投げて稽古を終え「状態はもっと上がるって実感している。プレッシャーさえ力に変えられる」と疲れを忘れたように笑った。◆レジェンドの父・仁さんの映像で五輪イメトレ
斉藤には日本柔道初の親子金メダルが期待される。父の仁さんは豪快な技を武器に1984年ロサンゼルス、88年ソウル五輪の95キロ超級(当時)を連覇した。指導者としても2004年アテネ大会100キロ超級を制した鈴木桂治(現日本男子監督)らを育てた柔道界のレジェンドだ。15年1月、54歳で亡くなったとき、斉藤はまだ中学1年だった。乱取り稽古で汗を流す斉藤立(左)
柔道を指導する際の仁さんを「とにかく厳しかった。優勝しても内容が悪ければ怒られた」と振り返る。そのためここ数年、好成績を残してメディアに「お父さんはどんな言葉をかけてくれると思うか」と問われると「まだまだだと言うと思う」と答えていた。だが本当は「分からないんです。自分が柔道に本気で向き合ったのはお父さんが亡くなってから。その状態でお父さんとしゃべっていないから、想像できないんです」。この日、初めてそう明かした。 それでも柔道家としての父の姿は強烈だ。斉藤は何の気なしに仁さんの五輪の映像を見るという。ロス大会は「根こそぎ一本を取りにいく柔道に憧れる」、大けがを乗り越えて連覇を果たしたソウル大会は「心に来る。こんな(すごい)人はいないって思わされる」。仁さんと同じ舞台に立てる喜びは金メダルへの推進力になっている。◆移動だけで30時間超、開催不透明でも
斉藤は21、22日、開幕1カ月前という異例の時期にペルーでの国際大会に挑む。100キロ超級にはパリ五輪で最大の壁となるテディ・リネール(フランス)がエントリーしている。リネールは9日にスペインであった国際大会を制し、五輪ポイントランキングで斉藤を抜き6位になった。稽古で汗を流す斉藤立(左)
7位に下がった斉藤はこのままだと、本番の準々決勝で、昨年の世界選手権でリネールと同時優勝を果たしたイナル・タソエフ(ロシア)と対戦する可能性が高い。ペルーの大会は斉藤にとって五輪ポイントを得られる最後の機会だ。ポイントを加え6位を取り戻せば、相手を変えられる。強豪から逃げるわけではない。少しでも金メダル獲得の可能性を高める。そのため全日本柔道連盟は急きょ、斉藤の派遣を決めた。 30時間超の移動がある。同級のエントリーは4人と少なく、直前まで試合が成立するかも不透明だ。日本男子の鈴木監督は斉藤にこれらのリスクを説明した。斉藤は「不安はない。リネールの思い通りにはいかせない」と真っ向勝負の姿勢だったという。 「(パリ五輪は)自分の勝負だが、お父さんの思いも背負う。どんな姿でも勝ちにいく」。最善の道で金メダルへ。斉藤に迷いはない。斉藤 立(さいとう・たつる) 男子100キロ超級で2018、19年全国高校総体優勝。22年世界選手権2位。同年は体重無差別で争う全日本選手権で初優勝。23年8月にパリ五輪代表に内定。男子95キロ超級(当時)で五輪2連覇の故・斉藤仁さんの次男。得意技は体落とし、内股。東京・国士舘高・国士舘大出。192センチ、165キロ。22歳。大阪府出身。
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