東京V戦の後半に途中出場し、ゴールに向かう町田・エリキ=19日、町田GIONスタジアムで(©FCMZ)
◆ひざを負傷、故郷・ブラジルで調整
「ポジティブな性格もあるが、明るくすることで仲間のこともサポートできるのではと思っている」。笑顔の理由をそう語る。前十字靱帯(じんたい)断裂などのけがでブラジルに戻り、長い調整を重ねてきた。負傷までに昨季18得点を重ねたエースが不在の間、足踏みしながらもJ1昇格した町田はさらに選手層が厚くなり、昨季は途中離脱でもJ2最優秀選手に選ばれたエリキにも指定席はないが「大事なことはチームをサポートすること」と続ける。 「神の御加護を受けてこういうチャンスをもらったと思っている。サッカーは人生を変えてくれた。金銭のことだけでなく人生の基盤をつくって豊かにしてくれた」。ブラジル北部パラ州の出身。小さな小さなエリアに原点がある。「自然が多いところ。テクノロジーが発達したものはなかったところで生まれ育った」と懐かしむ。◆丸めた靴下でドリブル遊びした日々
当時の生活は「ムズカシイ」ものだったと表現しながら「父のサッカーに対する情熱が乗り移ったのでは」と言う。「1994年のワールドカップ(米国大会)でブラジルが優勝したときに生まれ、(当時のブラジル代表のスター選手)ロマリオかベベトという名前になるところだったが、母が反対したみたい」。昨夏の離脱から再来日し、カメラに笑顔を見せる町田・エリキ=3月、東京都町田市で
そう笑いながら、並べ立てたペットボトルの間を靴下を丸めたボールで縫うようにドリブル遊びした日々を回想する。経済的には恵まれていなかったが、楽しむ時間だった。その才能はプロクラブ、ゴイアスで発掘され、サッカースクール時代、欠場した選手の代役として「確か7‐1で勝った試合で自分が6ゴール。そこで目に留まったのではないかな」。◆学んだのは社会還元というプロ意識
15歳でプロ契約。ブラジル時代はサッカー大国のテクニックや賢いプレー、活躍するだけでなくいかに社会に還元していくかといった「プロフェッショナリズムを学んだ。プロ契約をしたときから人々をサポートしたいという気持ちが芽生えた」。3歳の娘ラウラちゃんから「今日は何するの?」と聞かれるたび「正しいことをする、町田の成長のサポートをする。それをいつも考えているんだよ」とほほえみかける。 2019、20年に所属したJ1横浜M以来のJチームでは、試合中に厳しいファウルを受けた味方のもとへあえていくこともあり「相手から守ったりするのもプロとしてのこと」。ハンターのように勝利を追求し「オンとオフ。自分が真剣な表情のときは若手選手に伝えたいというサインでもある」。19日のJ1東京V戦は、こぼれ球に鋭く反応して復帰後初ゴール。文字通りの歓喜の輪が広がった。 鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。